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2016年1月27日 (水)

1月10日 「御国が来ますように」

 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。 御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』(マタイ6:9~13)

 主イエスが教えた「主の祈り」の中に「我らが赦すごとく・・・」という句があります。はたして自分は人を赦しているのかどうか、胸が痛み、ここだけは口をつぐんでしまうという人もいます。どう考えたらよいでしょうか。
 「主の祈り」の前半は、神に関する願いです。「御名があがめられますように」とは「神が神としてあがめられますように」という意味です。それは、神が神とされていない現実があるからだ、と言った人がいます。人々は神ではないものをあがめ、大切にし、服従しています。人ごとではありません、私自身、はたして神を神として認め、信じ、大切にし、従っているでしょうか。この世が、そして私自身が、神を神としてあがめるとき、御心が地にも行われるようになるでしょう。それが「御国が来る」ということでもあります。
 「御国」とは「神の国」「天の国」であり、「神の支配」のことです。主イエスは、「天の国は近づいた(4:17)」と告げ知らせました。その知らせを聞いて、わたしたちはさらに「御国が来ますように」「神の支配が実現し、御心が行われ、神が神としてあがめられますように」と祈ります。その中で、主の祈りの後半の祈りが献げられます。御国が来るとき、神の支配が実現するとき、日用の糧が与えられ、誘惑から守られ、そして赦しが行われるのです。
 「主の祈り」は「主が祈った祈り」でもあります。主が「わたしたちに必要な糧を与えてください」「負い目を赦してください」「悪い者から救ってください」と祈り、そしてそれを実現されました。主キリストにおいて御国は来たのです。
 主の祈りは、聖餐式で祈る祈りとされてきました。わたしたちは、日々の生活の中で、礼拝で、聖餐式で、主の祈りを献げ、「御国を来たらせたまえ」と願います。その「わたしたち」の輪の中に主ご自身がおられます。主が共に祈ってくださる祈りに支えられ、神の支配を信じて歩みを進めるのです。

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