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2016年2月13日 (土)

2月7日「大きな信仰」

イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。(マタイ15:21~28)
 「ティルスとシドンの地方」は、ユダヤ人にとって異邦人の地です。自分たちは神に選ばれた民と自負するユダヤ人にとって、異邦人は神の救いからは遠い、汚れた存在でした。ところが、ある異邦人の女が「主よ、ダビデの子よ」と、救いを求めてきたのです。
ダビデ王は、異邦人を征服して国を建てた、ユダヤ人にとっての英雄です。その子孫として来られるはずのメシアもまた、異邦人を退けるユダヤの英雄であるはずでした。それなのに、異邦人の女は、「やがてダビデの子として現れるメシアは、わたしたち異邦人にとっても救い主であるはずだ」と信じて訴えてきたのです。
 弟子たちにしてみれば、そんな信仰は、とんでもなくゆがめられた勝手な思い込みでした。だからこそ、彼らは、この女を退けるように言うのです。ここに記された、主イエスの一見ひややかな反応は、まさしく弟子たちが思い描き、期待していた「我々の救い主」の姿に他なりません。
 しかし、女の熱心な訴えを主は受け入れます。「あなたの信仰は立派だ」(28節)とは、直訳すれば「あなたの信仰は大きい」という意味です。主は、弟子たちの狭く小さな信仰、神の救いの業を小さく押し込める理解を打ち破る、大きな信仰を認めてくださり、弟子たちには思いもよらなかった新たな救い主の姿を示してくださったのです。
 私たちも、救い主を、せせこましく理解してはいないでしょうか。教会の中にじゅうぶんには受け入れられてこなかった人々がいます。障害、とくに精神障害や、心の病を負う人々、こどもたち、そしてまたセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の人々の叫びや訴えを聞き、「大きな信仰」にたつ教会でありたいと思います。

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