« 3月20日 「責任」 | トップページ | 北部日記 4月3日 »

2016年4月 2日 (土)

3月27日イースター礼拝 「わたしの兄弟たちに」

天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」 (マタイ28:5~10)

 復活された主イエスは、女たちに「わたしの兄弟たちに言いなさい」とことづけました。「わたしの兄弟たち」とは、弟子たちのことです。

 かつてガリラヤで宣教の働きをしていた頃、主は、周囲にいる弟子たちのことを「わたしの兄弟たち」とよんだことがあります(12:49)。血を分けた家族にもまさる、親しみと信頼のきずなをあらわす言い方です。弟子たちはどんなに感激し、誇らしく、うれしかったことでしょうか。

 それなのに、弟子たちは、主が捕えられたとき、これを見捨てて逃げてしまったのです(26:56)。「わたしの兄弟」とよばれるに値しない、弱く不信仰でひきょうなものたちです。

 「兄弟」について、主はかつて、兄弟の莫大な負い目を赦すよう教えたことがありました(18:21以下)。よみがえった主は、そのように、弟子たちを赦し、「わたしの兄弟たち」とよんだのです。

 またここで主は弟子たちにガリラヤに行くよう促します。ガリラヤは、弟子たちにとって、初めて主と会い、主に招かれたところでした(4:18以下)。もう一度、初めに戻ろう、あの時あそこから始めよう、と主は促すのです。

 マタイ福音書は、ガリラヤでの主イエスの活動の始まりと弟子たちの招きを記す際、ガリラヤについて言及するイザヤ書の句を引用しています(4:15~16)。ここに言う「暗闇に住む民」「死の陰の地に住む者」とは、今にして思えば、主を裏切った罪の暗闇に沈み、死の陰に恐れおびえていた弟子たち自身ではなかったでしょうか。しかしそこに、よみがえった主の、赦しと回復、新しい出発を促す希望のメッセージが、光として射し込んできたのです。この光が、いま、わたしたちをも照らします。イースターの光を、喜び受けましょう。

 

« 3月20日 「責任」 | トップページ | 北部日記 4月3日 »

説教要旨」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/520602/63430543

この記事へのトラックバック一覧です: 3月27日イースター礼拝 「わたしの兄弟たちに」:

« 3月20日 「責任」 | トップページ | 北部日記 4月3日 »