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2016年4月23日 (土)

4月17日 「初めに立ち戻れ」

エフェソにある教会の天使にこう書き送れ。『右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が、次のように言われる。「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう。だが、あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。わたしもそれを憎んでいる。耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」』  (黙示録2章1~7節)

 黙示録のはじめに、7つの町の教会に宛てたメッセージが記されています。ふだんから相互に行き来し、また黙示録の著者ヨハネとも関係深い諸教会であったのでしょう。
 最初にエフェソの教会へのメッセージが記されています。エフェソはアジア州の主都で大都会でした。かつてパウロもここに腰をすえて伝道活動の拠点としていました。エフェソの教会は、当時の諸教会のなかでも重要な役割を担っていたのでしょう。
 しかし、エフェソでの伝道はけっして容易ではありませんでした。使徒言行録19章には、あやしげな祈祷師がキリストの名を利用しようとしたり、アルテミス神殿の関係者が妨害を企てたりしたことが記されています。エフェソの信仰者たちは、このような環境の中で伝道し、また信仰を守ってきました。その労苦と忍耐が認められています(2~3節)。けれども、「愛から離れてしまった(4節)」と叱ることばが続きます。もしかしたら、信仰を厳しく守ろうとするあまり、愛を失っていってしまったのでしょうか。「エフェソの信徒への手紙」もまた、教会の一致と愛を促しているのも、同じ状況を踏まえているのかもしれません。
 今、日本の教会も厳しい環境にあります。その中で教会はいっしょうけんめい努力し、また正しい信仰を守ることを強調しています。しかし、そのために愛が失われ、ぎすぎすしてしまっていないでしょうか。
 愛を失った教会からは燭台をとりのけてしまう、と警告されています(5節)。愛が失われたら、世を照らし世に輝く教会の光が失われてしまうのです。これから厳しい状況に直面しても、なお光を失うことのないよう、今このときに、愛をやしない、育み、味わい、輝かせていましょう。

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