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2016年5月14日 (土)

5月8日 「戸を開ける」

ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』」   ヨハネの黙示録3章14~22節
 ラオディキアはたいへん豊かな町でした。交易に伴う金融業、織物業、そして医術が栄え、目薬でも有名でした。
 近くにはコロサイの町がありました。「コロサイの信徒への手紙」にもラオディキアの教会が言及され、コロサイ出身の伝道者エパフラスが深くかかわっていたことがうかがえます。ところが、それから20~30年がたち、エパフラスたちの苦労のかいあって安定してゆたかに発展した教会は「なまぬるい」と厳しく𠮟られています。スミルナの教会とは反対に、「あなたたちは豊かだと満足しているが、ほんとうは貧しいのだ」と戒められています。
 それでも主はこの教会を見捨てたわけではなく、「戸口に立って、たたいている」というのですが、それはつまり、キリストは教会の内側ではなく外にいる、ということです。それなのに教会は戸を閉ざしているのです。
 ラオディキアの教会は恐れていたのでしょう。教会の外、戸の外には厳しい現実が吹き荒れていて、戸をどんどんがたがたと震わせている、そういう嵐が吹き込んでこないよう戸を閉めて、自分たちだけでぬくぬくとなまあたたかかく満足していよう、教会の中、我々の中にいるはずのキリストを守るためにも戸を開けてはいけない、と考えていたのでしょう。
 しかしキリストは、愛する者を叱り、鍛えて、つらい目にあわせます。教会のなまあたたかい閉ざされた戸の中にではなく、外の厳しい現実の中に、キリストはおられます。かつて炭鉱の町の教会で働いた矢島信一牧師が「地獄化した様相は炭鉱のみならず各方面で進行している。教会の使命と責任は天国ではなく地獄の中にある」と記したことが思い起こされます。
 私たちの教会も創立当初の労苦を経て、ゆたかに成長してきました。他の教会やこの社会の課題に戸を開き、主を迎え入れましょう。

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