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2016年6月25日 (土)

6月19日「巻物の苦さ」

すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った。「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」そこで、天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない。」 (黙示録10章8~11節)
 巻物を食べた、というこの場面は、エゼキエル書2~3章の、エゼキエルが預言者の使命を与えられた場面を踏まえています。エゼキエルは、バビロンに征服され連行されて、もはや信仰も希望も失いかけていた神の民に、それでも神のことばを語れと命じられます。しかもそれは「哀歌と、うめきと、嘆きのことば」でした。しかし、神の言葉は、エゼキエル自身には「蜜のように口に甘かった」のでした。
 黙示録の場合も、新しい神の民、教会が苦難に襲われている中、神のことばを告げるようにと命じられています。しかしそれは、「腹に入ると苦くなった」というのです。巻物の苦さは、何を意味するのでしょうか。
ヨハネが与えられたみことばは、「神の計画が成就する」という「よい知らせ」でした。しかし、その計画は、初めから終わりまで甘いわけではありません。キリストの福音は、人にとって、おいしいうまい話だけではなく、苦しい苦さをも与えられるのです。それがヨハネの時代の信仰者たちの直面していた現実でした。私たちも、そのような苦さを味わうときがあるでしょうか。
 ところで、ヨハネが巻物を与えられたのは、みことばを人びとに告げるためでした。巻物の苦さとは、人びとに神のことばを告げる役割にともなうつらさのことも意味するのではないでしょうか。
 人びとにむかって、心地よく甘いことばではなく、つらく厳しいことばを語るのが預言者のつとめです。時代の苦しみの中にある人びとに、安直な救いや簡単な解決、てっとりばやい希望などではなく、批判と、悔い改めの促しと、滅びの計画を告げるのは、語る者にとっても腹にこたえるつらさです。ヨハネは、当時の教会に苦難がなお続くと苦いことばを語りました。今、預言者のつとめを与えられている教会は、巻物の苦さに耐えられるでしょうか。

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