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2016年6月14日 (火)

6月5日「苦難を通った者」

この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。  (黙示録7章9~14節)
 黙示録の6章では、神の手にあった巻物の封印を子羊が解いていくにつれて、おそろしい災いの場面が次々描かれていきます。8章で、7つめの封印が解かれると、こんどは7人の天使のラッパに伴ってまたもや災いの場面が展開します。その間の7章では、こうした災いにあって、しかし救われる人々の姿が示されます。 
 7章の前半では、神のものであるしるしの刻印を押された、イスラエルの一定の人々が示されます。ところが、続いて「あらゆる国民」からの数えきれない人びとが現れます。かれらは、もはやイスラエル民族に限定されない、新しく集められた神の民、教会を現しているでしょう。しかもかれらは、大きな苦難を通って、子羊の血で洗われた白い衣を着ています。子羊であるキリストのゆえに、苦難にあい、血を流すほどであった当時の教会の姿を示しています。15~17節の美しいことばは、大きな苦難にあっていた当時の教会の人々への深い慰めにほかなりません。
 しかし、救いや慰めは教会の人々だけのものでしょうか。
 子羊であるイエス・キリストは、「貧しい人」「飢えている人」「泣いている人」に、幸いと慰めを告げました(ルカ6:20~21)。ここでの主イエスのことばと、黙示録7:15~17節は響きあっているように思えます。「子羊の血」、つまりキリストが味わったこの世の苦難に染まっているのは、明らかな刻印を押された神の民だけではありません。あらゆる民の中にある、苦難を通った人々に、キリストの慰めはむけられているのではないでしょうか。
 沖縄で基地の重荷に苦しむ人々、戦禍を逃れようとする難民たち、格差社会の抑圧に涙する人々・・・。時代の災いのなか、大きな苦難を通った人々の血と涙を、神は決してむなしくはなさらないでしょう。

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