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2016年6月19日 (日)

6月12日 「新しい都へ」 教会創立記念日礼拝

わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(黙示録21章1~4節)
 教会創立40周年の今年度、教会の主題を「40年のその先へ、共に」と定め、申命記8章2節以下の聖句を掲げました。かつて荒れ野の40年の旅を経たイスラエルは、その先へ、祝福の地へと主の道を歩むよう促されました。約束の地に入った神の民は、やがて国をたて、都を定め、神殿を備えるに至りました。ところが、そのような民のありかた、国のありさま、都の現実、神殿の実態は、預言者たちによって厳しく批判されてしまいます。民が真実に主の道を歩んできたかどうか、厳しく問われたのです。
 札幌北部伝道所の最初の礼拝で、榎本栄次牧師は、主イエスが神殿のありさまを批判した場面から、「祈りの家」という説教を語り、ここから始まる教会が「強盗の巣」ではなく「祈りの家」となるよう促しました。はたしてわたしたちはそのように主の道を歩んできたでしょうか。
 黙示録は、神の民の歩みの最後の最後に、神によって新しい都が与えられることを示しています。かつて人びとによって建てられ、しかし厳しく批判されてしまったような都ではなく、神による完全な都です。
黙示録は、新しい都について、さまざまな特徴を描いていきます。新しい都の入り口、また土台には神の民の基となった人びとの名が刻まれ、その信仰が忘れられることはありません(11~14節)。都の「長さ、幅、高さが同じ(16節)」という句に関し、キング牧師は「自分自身への関心、他者の幸福への関心、神に向かう広がり」を意味する、というすぐれた説教を語りました。22~24節では、かつての神殿のように限定されない、さまざまな民の集うありさまが描かれます。
私たちは、これから先、困難にあおうとも、神がもたらしてくださる新しい都を思い描き、待ち望んで、歩みを進めていくのです。

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