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2016年7月10日 (日)

7月3日 『荒れ野へ」

 また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。 (黙示録12章1~6節)
 ここに登場する「竜」は、悪魔・サタンをあらわしています(9節)。では、その竜に追われて荒れ野に逃げ込む「女」は何をあらわしているでしょう。「女」が産んだ男の子とはキリストに違いありません(5節)。では、「女」は、主イエスを産んだ母マリアのことでしょうか。
 母マリアは昔から「教会」の象徴とされてきました。ここでもこの「女」は教会をあらわしているのでしょう。 黙示録の時代、キリストを宿した女つまり教会は、恐ろしい竜、サタンのもたらす迫害に襲われ続けていました。教会は、荒れ野のような厳しく困難でつらい状況に追い込まれていたのです。
 しかし、黙示録は、荒れ野に神の用意された場所があり、そこで女は養われること、また思いがけない助けがあることを示しています(6、14、16節)。かつて、荒れ野に逃げ込んだハガルは、絶望の中で神の救いに出会いました(創世記21章)。預言者も、荒れ野こそ神と出会い、深い関係を結ぶ場所であることを示しています(ホセア2:16、13:5)。荒れ野、つまり、厳しく困難な境遇の中で、神の助けを知り、神と出会い、養われるということがあるのです。
 *宮さんは、その後半生、身体の痛みと不自由のつらく厳しい日々を過ごされました。荒れ野のようなつらい困難のなか、それでもそこで神の備えに気づかされ、居場所を見出し、養われたのではなかったでしょうか。
 個人の歩みだけではありません。教会もまた、荒れ野へ逃げ込むようなときがあります。韓国や台湾では、軍事独裁政権の支配下で、教会はあえて荒れ野に逃げ込むような困難に身をおきましたが、そこで神に守られ、養われたのです。私たちも、荒れ野へ、荒れ野に備えられた自分の場所へ、神の守りを信じて飛んでいくようなことがあるでしょうか。

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