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2016年8月27日 (土)

8月21日 「千年を待つ」

わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。(黙示録20章1~3節)
 黙示録20章に基づいて「千年王国」の実現を主張する宗教運動が、歴史上くりかえし起こってきました。しかしアウグスティヌスはキリストの統治する「神の国」は教会のことであり、キリストの到来と共に始まっていると理解しました。キリストに結ばれた者は、すでにキリストと共にあってその統治にあずかっているのです。
 たしかに「千年」を文字通り人間の暦の中の1000年間と受けとめる必要はないでしょう。ペトロの手紙二3章8節に「主のもとでは一日は千年のようで、千年は一日のよう」とあります。神のはかり、基準は人のものとは違います。神の定めを、人のはかりではかってはならないのです。
 黙示録は、厳しい迫害の困難の中、「今は悪が世に力をふるっているが、神はこれをおさえこんでキリストの支配、神の国をもたらすことができる。今は信仰者たちはなすすべもなく命を奪われているとしても、神はそれを虚しくはなさらない。今、直面している恐ろしい現実を超えた神の真実がある。現実を恐れず、神の真実を信じ待ち望もう」と励まし力づけたのです。
 さらにいえば、恐ろしい現実に直面していても、やがてもたらされるキリストの統治を信じるとき、そこにもうキリストの支配は始まっているのです。
 先のペトロの手紙の句は「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。・・・皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです(3:9)」と続きます。主は、私たちが主への信頼に立つよう心定めるのを、それこそ一日千秋の思いで待っているのです。
 今日のこの一日をも、私たちが心定めるのを主は千年のようにして待っておられます。そして、もし私たちが神の真実への信頼にたって一日を過ごすなら、その一日が「千年」のキリストの統治の時ともなるでしょう。

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