« 北部日記 8月7日 | トップページ | 北部日記 8月14日 »

2016年8月12日 (金)

8月7日 「水の上の都」 平和聖日

さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。「ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった。」そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は、全身至るところ神を冒涜する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった。女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。 (黙示録17章1~5節)
 「多くの水の上に座っている大淫婦」とは、何をあらわしているのでしょう。15節には水はさまざまの民族のことだと説明され、5節には「大バビロン」という名が示されています。かつて諸民族に君臨した都バビロンです。
 バビロンはユーフラテス川のほとりに建てられ、運河の発達した「水の都」でした。水の上の都は、運河によって諸国の物資を集め、諸国・諸民族を経済的にも支配し富を吸い集めて繁栄したのです。
 黙示録は、かつてのバビロンになぞらえて、当時、地上を支配していた「あの大きな都」(18節)、すなわちローマのことを示しています。ローマは、地中海の海運により、ヨーロッパ・アジア・アフリカの富を集めて繁栄しました。ローマもまた「水の上の都」だったのです。
 しかし、黙示録は、ローマの繁栄をけばけばしい「淫婦」の装いとみなし、その内実は「みだらな行いの汚れ」(4節)にあふれていると指摘します。「みだらな行い」とは、聖書の表現では偶像礼拝を表しますが、それはただ異教の神々や皇帝を礼拝するという狭い意味の宗教上の問題にとどまるものではありません。旧約聖書の預言者たちは、偶像を礼拝して豊作や繁栄を祈ることが、富や力のために貧しい者を苦しめ弱い者をないがしろにすることにつながり、公正と平和を損なうと批判しました。ローマの繁栄も、ひとにぎりの支配者のものであり、貧しい者、弱い者をそこなうものでした。「多くの水の上に座っている大淫婦」とは、ローマのよこしまな力による支配の経済的な側面を表してしているのです。
 平和とは戦争がないだけではありません。経済社会のありかたも問われるのです。水の上の都はやがて滅びます。神の民は、この経済構造の罪に巻き込まれないように警告されているのです(18章4節以下)。

« 北部日記 8月7日 | トップページ | 北部日記 8月14日 »

説教要旨」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/520602/64049710

この記事へのトラックバック一覧です: 8月7日 「水の上の都」 平和聖日:

« 北部日記 8月7日 | トップページ | 北部日記 8月14日 »