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2016年9月10日 (土)

9月4日 「主に結ばれて」 召天者記念礼拝

また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」 (黙示録14章13節)
 今日は召天者記念礼拝です。召された方々の生涯を思い起こします。中には、迫り来る困難や理不尽な力に苦しめられ続けた人生もあります。
 黙示録の著者ヨハネは、恐ろしい竜や獣が迫ってくる幻のなかで、天からの声を聞きました。「主に結ばれて死ぬ人は幸いである」という句は、主イエスの山上の説教の幸いの宣言にも通じる慰めのことばです。
 「主に結ばれて」とは、原文を直訳すると「主の中で」とあります。「主にあって」とも訳される、聖書の特徴的な表現です。簡単にいえば「主を信じて」という意味ですが、自分の力で信じるというより、主ご自身のみわざを強調した表現です。さらに「主の中で」には「主の教会の中で」とのニュアンスもあります。
 「今から後」と前置きがありますが、この「今」とは、竜や獣であらわされる外からの苦難が迫っている時のことです。苦難が迫る中でも、なお主の中で生き、教会に留まり続ける、そのことは決してむなしくなることはない、幸いを与えられる、と主は宣言するのです。
 戦争中、学生だったキリスト者の尹東柱(ユンドンジュ)は、祖国朝鮮と同胞の苦難の時の中で、「いのち尽きる日まで天を仰ぎ・・・与えられた道を歩み行かねば」とうたいました。彼自身、治安維持法違反で逮捕され、27歳で獄死します。しかし、残された詩が知られるようになり、いま韓国では国民的詩人として親しまれています。
 困難や理不尽の中、なお、天を仰ぎ、与えられた道を歩む、主に結ばれた、主の中での歩みを、主はけっしてむなしくはされません。「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」と、慰めと祝福を宣言する、主の約束を受けとめましょう。

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