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2016年9月11日 (日)

北部日記 9月11日

 先週、福島県の飯舘村を訪れる機会がありました。福島第一原発の事故の影響で、人々の暮らしが失われたところです。
 それまで、この村では、ゆたかで楽しい生活が営まれていたことを聞きました。ゆたかな山や川の恵みがあり、山菜をとり、魚を釣り、マツタケやタケノコを味わい、田畑を耕し、牛を飼い、果物が実り、ご近所とのつきあいを楽しみ・・・それがすべて、放射能汚染によって失われてしまったのです。
 村のなかをめぐると、田畑は荒れ、畜舎は空になり、家はひっそりとしています。避難生活からいつかは帰ってくることを願って、今も手がいれられているだけに、かつての美しくゆたかな情景が容易に想像され、かえって痛ましさがつのります。
 しかし、その風景が、北海道の地方の過疎地域の離農した跡地にもどこか重なってみえてきました。利益を求め、その時の思惑で力づくの方策をおしすすめた果てに、痛みをおしつけられた土地と暮らしという点では通じるものがあるように思えたのです。
 災害は、隠されていた問題をあらわにする、といいます。家族の関係、地域の課題、社会の構造など、あらゆるレベルでそれまでひそかに抱えてきた問題が、危機の中で一気に吹き出してくるのです。
 地震、津波、そして放射能事故という災害そのものもまだ解決していません。それとともに、そこにあらわにされてきた、もっと普遍的で根深い問題をも直視し、課題としてとりくまねばならないのです。

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