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2016年9月17日 (土)

9月11日 「主はどこにおられるのか」

「主はどこにおられるのか」

ヤコブの家よ

イスラエルの家のすべての部族よ

主の言葉を聞け。

主はこう言われる。お前たちの先祖は

   わたしにどんなおちどがあったので

遠く離れて行ったのか。

彼らは空しいものの後を追い

空しいものとなってしまった。

彼らは尋ねもしなかった。

「主はどこにおられるのか

わたしたちをエジプトの地から上らせ

あの荒野、荒涼とした、穴だらけの地

乾ききった、暗黒の地

だれひとりそこを通らず

人の住まない地に導かれた方は」と。

わたしは、お前たちを実り豊かな地に導き

味の良い果物を食べさせた。

ところが、お前たちはわたしの土地に入ると

そこを汚し

わたしが与えた土地を忌まわしいものに変えた。

祭司たちも尋ねなかった。

「主はどこにおられるのか」と。

律法を教える人たちはわたしを理解せず

指導者たちはわたしに背き

預言者たちはバアルによって預言し

助けにならぬものの後を追った。

それゆえ、わたしはお前たちを

あらためて告発し

また、お前たちの子孫と争うと

主は言われる。

(エレミヤ2章4~9節)

  これからしばらくエレミヤ書を学びます。エレミヤは、ユダ王国が滅亡にむかう時代に活躍した預言者です。

かつてのイスラエルの統一王国が分裂した後、北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされましたが、南のユダ王国はアッシリアに従属することで生き延びました。アッシリアに服従し、その文化制度を取り入れ、さらにはエルサレムの神殿でアッシリアの神々を祭るようにさえなっていたようです。

 エレミヤは、そのようなユダ王国のありかたを厳しくとがめる神のことばを伝えました。神は、ご自分の民が危機に直面したとき、ちょうど子どもが恐ろしい目にあったときに親を捜し求めるように、「主はどこにおられるのか」と捜し求める信仰を期待していたのです。

 困難にあったとき、それまでの信仰を捨ててしまうことがありますが、もっと問題なのは、無自覚のうちに信仰の内容をすりかえ、神ではないものをあがめたてまつることになってしまうことです。

 かつての戦争の時代、日本の教会は、国家に従い、神社に参拝し、天皇を拝むようにして時代を生き延びました。しかしそうした姿勢は、エレミヤが告げた神のことばに耐えることができるでしょうか。  

 同じように、15年前の9・11事件に際し、アメリカの教会は、敵を愛せと教えた主キリストより、報復を促す国家に従ったのではなかったでしょうか。また今、日本の教会の存続の危機が叫ばれている中、いつのまにか、効率や成果を重んじる、企業の価値観が教会のなかでもあがめられるようになっていないでしょうか。

 困難の中で、信仰の中身をすりかえ変質させるのではなく、「主はどこにおられるのか」と尋ね求め続ける信仰が求められるのです。

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