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2016年10月30日 (日)

10月23日 「その日がきたら」 収穫感謝日

そのときには、と主は言われる。
わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。
主はこう言われる。
民の中で、剣を免れた者は
荒れ野で恵みを受ける
イスラエルが安住の地に向かうときに。
遠くから、主はわたしに現れた。
わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し
変わることなく慈しみを注ぐ。
おとめイスラエルよ
再び、わたしはあなたを固く建てる。
再び、あなたは太鼓をかかえ
楽を奏する人々と共に踊り出る。
再び、あなたは
サマリアの山々にぶどうの木を植える。
植えた人が、植えたその実の初物を味わう。
見張りの者がエフライムの山に立ち
呼ばわる日が来る。
「立て、我らはシオンへ上ろう
我らの神、主のもとへ上ろう。」
               (エレミヤ31章1~6節)
  5節のことばは、エレミヤの時代にはあえてサマリアにぶどうを植えようという人がいなかったことを前提にしています。サマリアには先に滅亡したイスラエル王国の都がありました。亡国の戦乱でサマリアの町も畑も荒れ果てていたのでしょう。
  「植えた人が・・・初物を味わう」ことができないのは、戦争のためばかりではありません。力あるものが支配するとき、実りのよいところは支配者に収奪され、植えた農民たちがそれを味わい楽しむことができません。植えた人が実りを味わえないのは、正義と平和が失われているしるしです。
 北海道は「出来秋」を迎えています。しかし、今、農業は厳しい状況におかれ、各地には、離農の跡を見かけます。植えた人が、実りを味わうことができない状況です。
 聖書は、しかし、植えた人が初物を味わうとき、主の日、救いのときの到来を告げています。その日は来ると希望を告げるのです。
 それは、隔てられていた人々が共に生きる希望の日でもあります。
 イスラエル民族は、かつて南北に分裂して対立していました。サマリアを都とするイスラエル王国(エフライム)と、エルサレム(シオン)を都とするユダ王国は戦火を交えたこともありました。しかし、いつか、その日がきたら、サマリアにぶどうが植えられ、エフライムからシオンヘと人々が集まってきて、共に主を礼拝する、と告げられています(5~6節)。それが、主の日に、いつか実現する平和の希望なのです。
 わたしたちの社会も、正義と平和がそこなわれ、人と人とが隔てられ、引き裂かれ、対立や争いの中にあります。しかしそれでもなお、「その日が来たら」と平和の実現を信じるのです。

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