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2016年11月19日 (土)

11月13日 「負けた預言者」

 その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の五月に、主の神殿において、ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、祭司とすべての民の前でわたしに言った。
 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く。二年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。また、バビロンへ連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤおよびバビロンへ行ったユダの捕囚の民をすべて、わたしはこの場所へ連れ帰る、と主は言われる。なぜなら、わたしがバビロンの王の軛を打ち砕くからである。」
そこで、預言者エレミヤは主の神殿に立っていた祭司たちとすべての民の前で、預言者ハナンヤに言った。預言者エレミヤは言った。
 「アーメン、どうか主がそのとおりにしてくださるように。どうか主があなたの預言の言葉を実現し、主の神殿の祭具と捕囚の民すべてをバビロンからこの場所に戻してくださるように。だが、わたしがあなたと民すべての耳に告げるこの言葉をよく聞け。あなたやわたしに先立つ昔の預言者たちは、多くの国、強大な王国に対して、戦争や災害や疫病を預言した。平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに主が遣わされた預言者であることが分かる。」
すると預言者ハナンヤは、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた。そして、ハナンヤは民すべての前で言った。
 「主はこう言われる。わたしはこのように、二年のうちに、あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く。」そこで、預言者エレミヤは立ち去った。
                       (エレミヤ28章1~11節)
 エレミヤは自分の首に木のくびきを負う、という異様な姿で、「バビロンのくびきを負え」という神の意志を示しました(27章1節以下)。その姿は人を驚かせましたが、その意味する内容も人を愕然とさせるものでした。
 ユダ王国はバビロンに攻め込まれてエルサレムの神殿も荒らされ、王や主だった人々はバビロンに連行され、かわってかいらいの王ゼデキヤが立てられました。バビロンの属国とされたユダの人々は、バビロンのくびきから解放されることを切に祈り願ったことでしょう。しかし、エレミヤが示したのは正反対に「くびきを負え」というみこころだったのです。
 このとき、人々の思いに沿ったことばを告げたのがハナンヤでした。バビロンからの解放を告げるハナンヤのことばに、人々は喝采したことでしょう。ハナンヤは、人々をだまそうとしたのではなく、神はこの苦境からきっと救ってくださるとまじめに確信して語ったのでしょう。しかし、それはけっきょく、神からのことばではなく、自分たちの願望にすぎなかったのです。
エレミヤは、ハナンヤを批判しますが、ハナンヤはエレミヤの首からくびきをはずして砕きました。人々は胸のすく思いでハナンヤを支持したのでしょう。エレミヤはすごすご引きさがるほかありませんでした。
神のことばは、人を喜ばせ、期待に応えるものとは限りません。みことばに従うとき、人々の前で勝ち誇るどころか、みじめに負けることがあります。みこころに従うとは、つらく重い、みじめなくびきを負うことでもあるのです。
 しかし、負けた者の希望も、やはり神のことばにあります。エレミヤは再び神のことばを聞いて立ち上がります。ハナンヤと再び対決し、裁きを告げたのです(12~17節)。くびきを負う者と、はずす者、負けた者はどちらだったでしょうか。私たちは、神からのくびきを負って、生かされるのです(マタイ11:29~30)。

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