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2016年11月12日 (土)

11月6日 「陶工の仕事」

主からエレミヤに臨んだ言葉。
「立って、陶工の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」わたしは陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた。陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった。
そのとき主の言葉がわたしに臨んだ。「イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。」
                         (エレミヤ書18章1~6節)
 プロの陶芸家は、作品が焼きあがっても、気に入らないもの、自分の名にふさわしくないものは叩き壊してしまうそうです。まして、粘土をこね、整形する段階では、何度もつぶしてはやり直すのでしょう。
 エレミヤは陶工の仕事ぶりをながめながら、何を思い浮かべていたでしょうか。創世記に記された、神様が土のちりで人を作った場面でしょうか。あるいは、造り主である神と造られた器にすぎない人間を、陶工と陶器にたとえてそのへだたりを教えたイザヤのことば(イザヤ29:16)でしょうか。
 そのとき、エレミヤは神の語りかけをはっと悟りました。陶工の手のうちにある粘土は、神の民のたとえだと示されたのです。
当時のユダ王国の人々は、迫り来る危機におびえながら、いっぽうで「主は、ご自身の民である我々を滅ぼすようなことはなさらない」と、たかをくくってもいました。しかし造り主である神は、御名にふさわしくないものをつぶし、滅ぼすこともおできになる方なのです。エレミヤが聞いたこの厳しいことばを、今、わたしたちも襟を正して受け止めなければなりません。
 しかし、主がご自分で作ったものを滅ぼすのは、それを新しく作り直すためでもありました。ご自分の民を滅ぼすという厳しい裁きは、神の民をもっとご自分にふさわしいものへ作り直すみわざだったのです。
 エレミヤの時代、ついにユダ王国は滅亡し、民は国を失い、バビロンに捕囚として連れ去られます。しかし数十年の後、ふしぎにも民は新しく作り直されていくことになります。
私たちも、神の裁きや叱責にあい、挫折し、つぶされ、砕かれ、滅びの悲しみを味わうことがあるでしょうか。しかし、主は、そのような厳しい試練を通して、土の器のわたしたちを捨てるのではなく、もっとご自分の名にふさわしいものへ作り直すことをなさるのです。

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