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2016年12月

2016年12月31日 (土)

12月25日 「神の子の福音」 クリスマス礼拝

ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。(マルコ1章14~15節)
 マルコ福音書にはクリスマスの物語は記されていませんが、主イエスの出現にかかわって「福音」という語がくりかえされています。冒頭に「神の子イエス・キリストの福音の初め」とありますが、これが本来のこの書物のタイトルです。「初め」とは、「源」「根本」の意味です。この書物は、神の子の福音の根本を示すためにかかれました。
 マルコは、主イエスが現われたとき、「神の福音」として「神の国は近づいた」と宣べ伝えたことを記しています。「神の国」とは、神の支配のことです。山浦玄嗣さんは、「神さまのおとりしきり」と訳しました。神様がすべてをとりしきりコントロールしてくださる、私たちを放っておくことなくすべてをはからってくださる、そういう神の支配の実現が福音として告げ知らされ、それを信じるよう呼びかけられたのです。
 マルコはこの後、このように福音を知らせた主イエスの言動を記していきます。人々を教え、悪霊を追い出し、病をいやすその働きに、神の支配の実現が証されていきます。ところが、それゆえに主イエスは権力者に憎まれ、捕えられ、殺されてしまいます。ほんとうに神がすべてを支配されるのなら、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
 マルコ福音書は、その主イエスの復活の知らせを記して終わります。神の支配の実現を告げる福音に始まり、最後に主イエスの復活の知らせを記し、これを信じるかどうか問いかけているのです。信じる者にとっては、この書物に記された主イエスの生涯と働き、そして十字架と復活が、神の救いのできごとを告げる福音となります。主イエスご自身が、福音そのものなのです。
 神の子イエス・キリストという福音が与えられました。クリスマスは、神の子の福音の初めです。福音を受けとめて信じましょう。

2016年12月24日 (土)

12月18日 「逆らう者によりそう神」 

 彼らの神である主がエレミヤを遣わして伝えさせたすべての言葉を、彼が民の全員に語り終えたとき、ホシャヤの子アザルヤ、カレアの子ヨハナンおよび高慢な人々はエレミヤに向かって言った。
 「あなたの言っていることは偽りだ。我々の神である主はあなたを遣わしていない。主は、『エジプトへ行って寄留してはならない』と言ってはおられない。ネリヤの子バルクがあなたを唆して、我々に対立させ、我々をカルデア人に渡して殺すか、あるいは捕囚としてバビロンへ行かせようとしているのだ。」
 こうして、カレアの子ヨハナンと軍の長たちすべて、および民の全員は、ユダの地にとどまれ、という主の声に聞き従わなかった。カレアの子ヨハナンと軍の長たちはすべて、避難先の国々からユダの国に引き揚げて来たユダの残留民をすべて集めた。そこには、親衛隊長ネブザルアダンが、シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤに託した男、女、子供、王の娘たちをはじめすべての人々、および預言者エレミヤ、ネリヤの子バルクがいた。そして彼らは主の声に聞き従わず、エジプトの地へ赴き、タフパンヘスにたどりついた。 (エレミヤ43章1~7節)

 バビロンへの服従を説くエレミヤのことばを聞き入れなかったユダ王国はついにバビロンに滅ぼされます。バビロン側はエレミヤに厚遇を申し出ますが、エレミヤはエルサレムに留まることを選びました。バビロンから総督に任じられたゲダルヤと協力して復興をはかろうとしたのでしょうか。しかし、ゲダルヤは反バビロン派の残党によって暗殺されてしまったのです。
 ゲダルヤの部下たちはバビロンの報復を恐れ、エジプトへの避難を考えました。その際、彼らはエレミヤに神のみこころを尋ねるよう頼み、そのことばに従うことを誓いました(42:5~6)。ところが、エレミヤを通して示された神のことばは、エジプトへ行くな、というものでした。人々はそれを聞き入れようとせず、けっきょくエジプトへとむかったのです。
 人々は、神に逆らい続けました。神をないがしろにし、悔い改めず、裁きが迫っても受け止めず、国を失った後も裁きを受け入れずに総督を暗殺し、エジプトに行くなというみことばに逆らいました。神の民と自負しながら、神のことばが自分たちの思いと食い違うときは決して受け入れようとしなかったのです。かえりみれば、私たちもまた、そうではないでしょうか。
 しかしこの後、神に逆らってエジプトに向かう人々の中に、エレミヤも加わっていました。エレミヤはついにエジプトで生涯を終えたようです。エレミヤは、最後まで民と共にあることを選んだのではないでしょうか。逆らう者、最後まで聞こうとせず、神から遠ざかる者に、なお、よりそい、語りかけるのが神のみこころであり、預言者の使命であると自覚していたのでしょう。
 逆らい続け、遠ざかり行く罪の人間たちに、なおもよりそい、その裁きの痛みを共に負うのが神の愛です。クリスマス、人の世にこられた御子キリストは、そういう神の愛のメッセージ、神のことばなのです。

2016年12月18日 (日)

北部日記 12月18日

 今年、教団出版局から2冊ほどの本の原稿を依頼されました。もちろん自分ひとりの著作というわけではなく、何人かの原稿を集めて作る本の、執筆者のひとりという立場です。
 ひとつは、『そうか!なるほど!!キリスト教』という、ひとくちで言えばキリスト教に関するQ&Aの本。しかし、その問いというのが、「聖書に書いてあることで受け入れられない箇所はどうすればいいですか?」「クリスチャンってやめられるの?」「主と神の違いは?」「江戸幕府はなぜキリスト教を禁じたの?」「死刑についてどう考えたらいいの?」「(キリスト教)原理主義ってどういうもの?」など、いろんな意味で難しいものばかり。回答の執筆者には有名な学者や牧師が名を連ねています。なんで研究者でもないこちらにまで声がかかったのか、編集者から割り当てられた難しい問いに頭を抱えながらやっとのことで原稿を提出しました。
 もうひとつは『聖書人物おもしろ図鑑 新約編』。聖書の登場人物をイラストで紹介していく楽しい本です。一見こどもむけですが、おとなにも読みごたえがあり、先に刊行された『旧約編』はすでに大好評。これも何人かの人物を割り当てられてその説明文を書くのですが、イラスト中心の本なのにそのイラストは後から描かれるてはずで、どんなページになるのかなかなかイメージできません。見えないイラストの説明文をどう書いたものか、勝手がわからずやはり頭を抱えました。
 どちらの本も、できあがって来ると他の執筆者の書いたところはやけにすばらしく見えます。自分のことは棚にあげて、クリスマス・プレゼントにいかが、と薦めたくなりました。

2016年12月17日 (土)

12月11日 「しりぞけられていた者が」 

 そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろした。水溜めには水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。
 宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクは、エレミヤが水溜めに投げ込まれたことを聞いた。そのとき、王はベニヤミン門の広場に座していた。
 エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。
 「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」
 王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。エベド・メレクはその人々を連れて宮廷に帰り、倉庫の下から古着やぼろ切れを取って来て、それを綱で水溜めの中のエレミヤにつり降ろした。クシュ人エベド・メレクはエレミヤに言った。「古着とぼろ切れを脇の下にはさんで、綱にあてがいなさい。」エレミヤはそのとおりにした。そこで、彼らはエレミヤを水溜めから綱で引き上げた。そして、エレミヤは監視の庭に留めて置かれた。    (エレミヤ書38章6~13節)

 バビロン軍がエルサレムを包囲する中、エレミヤは「降伏して生き延びよ」という神のことばを伝えます。しかし、高官たちはかえってエレミヤを死刑にせよと王にせまり、エレミヤを捕らえて水ために放り込んでしまいました。このとき、エレミヤを救ったのは、思いがけない人物、エベド・メレクでした。
 「エベド・メレク」とは「王の奴隷」という意味です。本名ではないでしょう。彼はクシュ人の宦官でした。異民族出身の彼は、救いを約束された神の民の一員ではありませんでした。そのうえ、身体に損傷のある宦官は神殿の礼拝に連なることも許されません。異民族の宦官である奴隷エベド・メレクは、二重三重にしりぞけられていた者でした。彼が宮廷で王に語りかけるエレミヤのことばに耳を傾けていたなどとは、エレミヤ自身も思いもよらなかったことでしょう。しかし、預言者の危機を救うために奔走したのは、神の民でも王でもエレミヤの弟子たちでもなく、このエベド・メレクだったのです。
 75年前、日米開戦の12月8日の朝、北海道大学で英語を教えていたレーン夫妻と、親しい北大生がでっちあげのスパイ容疑で逮捕されました。「レーン・宮澤事件」です。獄中のレーン夫妻が聖書の差し入れを望んだとき、教会の関係者は恐れて拒否しましたが、キリスト者でもない看守が自分で聖書を買って差し入れてくれました。思いがけない助けが与えられたのです。
 エベド・メレク自身、自分は神の恵みからはしりぞけられていると思っていたでしょう。しかし、神は彼に救いを告げます(39:15以下)。ほんとうは、神の目は、神の民からしりぞけられていた彼にこそ注がれていたのではなかったでしょうか。
 御子キリストは、しりぞけられていた者を招くためにこそ来られました(マルコ2:17)。その招きを信じ、受けとめましょう。

2016年12月11日 (日)

北部日記 12月11日

 月に2回、水曜日の朝10時から祈祷会を行っています。この会では今はその月の『信徒の友』誌の記事を読み合わせて、その内容から学んだり、感想や疑問を分かちあったりして、祈りを導かれています。
 先週の祈祷会では『信徒の友』12月号の特集「クリスマスの暦を生きる」の関連記事を読みました。「教会暦」とその中でのアドベント、クリスマスの意味について記した内容です。
 「教会暦」とは、神の救いのできごとの歴史を一年の流れにあてはめたカレンダーで、古くから教会の礼拝のために用いられてきました。日本のプロテスタント教会は、歴史的ないきさつから、あまり「教会暦」を重んじてきませんでしたが、それでもここ20~30年、世界の教会で「礼拝」への関心が高まり、関連する「式文」「讃美歌」「聖礼典」などの理解が深まってくる中で、あらためて「教会暦」も意識されるようになって来ました。
 これまでも、アドベントの期間には、クリスマスにむけて思いと祈りをむけることが意識されてきましたが、今回の『信徒の友』の特集では、よりくわしくその意味と具体的な過ごしかたが示されています。
 ところで、今年はクリスマス当日の12月25日が日曜日ですが、アドベント・クランツのろうそくは、前の週に4本目がともされています。25日にはどうすればいいのか、話題になりましたね。『信徒の友』の記事には、「クリスマス・イブに5本目の白いそうろくに火をともし、言が光として世に来られたことを象徴する」という習慣が紹介されていました。教会の伝統の知恵に学び、今に活かしていけたらと思います。

2016年12月10日 (土)

12月4日 「土地を買った預言者」

さて、エレミヤは言った。「主の言葉がわたしに臨んだ。見よ、お前の伯父シャルムの子ハナムエルが、お前のところに来て、『アナトトにあるわたしの畑を買い取ってください。あなたが、親族として買い取り、所有する権利があるのです』と言うであろう。」主の言葉どおり、いとこのハナムエルが獄舎にいるわたしのところに来て言った。「ベニヤミン族の所領に属する、アナトトの畑を買い取ってください。あなたに親族として相続し所有する権利があるのですから、どうか買い取ってください。」わたしは、これが主の言葉によることを知っていた。そこで、わたしはいとこのハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀十七シェケルを量って支払った。(エレミヤ32章6~9節)
 エレミヤは、面倒な手続きをふんで、親族から土地を買い取りました。このとき、エルサレムはバビロン軍に包囲され、国の滅亡を預言したエレミヤは危険視されて投獄されていました。この後やがてエルサレムは陥落、王国は滅亡することになります。そんな状況なのに、獄中のエレミヤは、自分ではもう訪れることもできない土地を買ったのです。
 なぜそんなことをしなければならないか、エレミヤ自身とまどって神に尋ねます(24~25節)。それに対し、神は、裁きの後の回復の恵みを告げます(42節以下)。土地を買うのは、将来の神の救い、回復の希望をつげるしるしとしての行動でした。今、土地を買っても、エレミヤには何のメリットもありません。今の状況がなにか好転することもありません。土地を買うのは、今これから国が滅びたとしても神の約束は滅びない、神はなお民を見捨てずに回復をもたらしてくださるという神のメッセージ、みことばを示すしるしとしてのふるまいだったのです。
 今、教会に預言者のつとめが与えられています。それは、神のみこころをことばで伝えるだけでなく、しるしとしての行動で示すことも含まれています。
 芦別教会は「北海道特別開拓伝道」で炭鉱の街に建てられました。炭鉱がなくなると教会も立ち行かなくなりましたが、北海教区はそれをひきとって「芦別祈りの家」として維持しています。そうすることで、いまも将来もメリットはみこめません。それでも、厳しい時代の状況におかれた地域とその人々を神はなお見捨てず、共におられることのしるしとして、あえてそうしているのです。芦別だけでなく、北海道の地域社会、そして教会自身にむけられたしるしです。困難な状況にあっても「神は我々と共におられる」との希望のしるしを掲げる教会でありたいと思います。

2016年12月 4日 (日)

北部日記 12月4日

 12月に入りました。街でもクリスマスツリーのイルミネーションが輝き、お店のBGMもクリスマスソングがひっきりなしに響いて、クリスマス気分を盛り上げています。教会ではすでに先週からアドベント(待降節)に入っています。クランツやリース、クリスマスツリーやステンドグラスなど、たくさんの楽しい飾りもならんでいますが、何よりも私たちの心をクリスマスに向けて整えていきたいと思います。
 今年もクリスマス委員会が発足し、いろいろな準備を進めています。
今年のクリスマスのテーマを「あなたと一緒にクリスマス!」としました。私たちは、主キリストを共にお迎えしていっしょにその喜びと感謝をわかちあうよう呼びかけられています。それと共に、その私たちがまた、「あなたと一緒に!」と誰かによびかけるものとなれたらいいですね。クリスマスは教会に人を誘うよい機会です。ちょうど今年は土曜日がキャンドルサービス、そして日曜日がクリスマス礼拝となります。家族や友人など、ぜひ声をかけてみてください。
 今年は12月の日曜ごとに祈りの課題を定めることとしました。具体的な内容については、クリスマス委員会発行の『ノエル』をごらんください。北部教会につながる人たちを覚えての祈りと、この世の課題にかかわる祈りとを組み合わせて挙げています。日曜日の礼拝の中でこれらの課題を覚えて祈りますが。さらに、それぞれその週の祈りとして日々覚えていただければと思います。
 さて、昨年チャレンジしてみた『ハレルヤ・コーラス』に、今年もとりくみます。ぜひ、あなたと一緒に、ハ~レルヤ!

2016年12月 2日 (金)

こどもクリスマス

こどもクリスマス
12月18日(日)13:30~15:00
みんなでクリスマスをお祝いします。
クリスマスのお話をきいて、おやつをたべたり楽しくすごします。だれでもさんかできるよ。

・さんかひひとり100円 こうかんプレゼント(200円くらい)

・クリスマス献金をささげます。
  日本キリストきょうだんをとおしてひがしにほんだいしんさいひさいちのおともだちにおくられるよ。

リンク: 札幌北部教会・太平子どもの家.

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