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2017年1月28日 (土)

1月22日 「ほかの舟も」

その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。    (マルコ4章35~41節)
 主イエスは、舟の上から岸辺の人々に話をされた(4章1節)その日の夕方、急に「向こう岸にわたろう」と弟子たちを促します。先の見えない夜の闇が迫る中、せっかく集っていた群衆を置き去りにして、向こう岸の異邦人の地へと漕ぎ出た舟は、嵐にあい、波風に翻弄されます。たまりかねた弟子たちは主イエスを起こして「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と皮肉まじりに非難したのですが、主イエスは嵐を静め、「なぜ怖がるのか、まだ信じないのか」と弟子たちを𠮟ったのでした。
 主イエスの十字架と復活の後、弟子たちは、ユダヤを出て見知らぬ異邦人の地へ向かうことになります。思いもよらなかった主の促しでした。先の見えない道のりを行く中で、弟子たち、つまり教会は、さまざまな困難や時代の嵐に翻弄されます。教会が今にも沈みそうに思える中、主はまるで眠りこけておられるのでは、と不安にかられた弟子ですが、そのときまた、「なぜ怖がるのか、まだ信じないのか」と問われるのです。
 教会は嵐の中の舟になぞらえられます。しかしそれは、キリストが乗っておられる舟なのです。
 さて、この場面には、ひと言「ほかの舟(複数)も一緒であった」(36節)と触れられています。これはいったい誰の舟だったのでしょう。ほかの弟子たちでしょうか、群衆の一部でしょうか、たまたま行きあわせた無関係の船だったのでしょうか。これらもまた嵐に苦しみ、そして主イエスが嵐を静めたときには共に救われたことでしょう。
 「ほかの舟」は、共に行く他の諸教会のことでしょうか。教会以外の、やはり時代の嵐に苦しめられる人々のことでしょうか。わたしたちは「ほかの舟」ともども、嵐から救ってくださるキリストによって希望の朝の光を仰ぐのです。

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