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2017年1月21日 (土)

1月15日 「だれの仲間か」

イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。(マルコ3章20~22節)
 主イエスの福音の宣教には、癒しがともなっていました。「神の国」「神の支配」の到来が、病の癒しや悪霊からの解放によって示されたのです。当時の強圧的な支配の下、弱い者はいっそう苦しみ、生きていくつらさや理不尽な重荷に耐え切れずに精神のバランスを崩す人々も多かったでしょう。彼らは「悪霊に取り付かれた」としてさらに退けられてしまいます。主イエスはそうした人々を癒し、多くの人々が救いを求めてその周りに集りました。
 しかし、その働きを受け入れられない人々もいました。主イエスの身内は心配し、おそれて取り押さえにきました。また、権威ある律法学者たちは、主イエスが悪霊の力を用いていると根拠のない中傷をいいふらしました。
 主イエスは、そのような中傷に対し、きっぱりと、悪霊と闘う意志と使命を表明しました。この世に住み着き、人々を我が物顔に支配する強大な悪の力に挑み、その支配のもとにある人々を奪い返す、というのです(27節)。「福音を宣べ伝える」つまり「神の国、神の支配を証する」とは、そのように悪への挑戦を含むものでした。
 福音を宣べ伝え、悪に挑戦することは、しかしある人々との決別・決裂をも意味しました。主イエスは、律法学者たちとの対立を深めたばかりでなく、身内の人々にも厳しいことばで応えます。
 いっぽうで、救いを求めてご自分の周りに集った人々をさして「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟姉妹、また母なのだ」と言います。悪の力からの解放を切実に願って神の支配に身を寄せてきた人々こそ、ご自分の身内、仲間であるというのです。
 今、主イエス・キリストはだれの仲間としておいでになるでしょうか。悪が力をふるう世にあって、わたしたちはだれの仲間なのでしょうか。

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