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2017年2月18日 (土)

2月12日 「その言葉のゆえに」

 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。 (マルコ7章24~30節a)
 主イエスは異郷のティルスに来ていました。ガリラヤでの働きに疲れ、休息をとるつもりだったのでしょうか。ところが、そこにこの地の女性がやってきて、悪霊に取りつかれた娘を救ってくれるよう、必死に願ったのです。
 しかし、彼女に対する主イエスの対応はあまりに冷ややかにみえます。彼女が異邦人だったからでしょうか。せっかくの休息を乱されたからでしょうか。いずれにせよ女にしてみれば拒否されたことには変わりありません。
 必死に祈り願ってもかなえられないときがあります。自分のためでなく、隣人のため、愛する大切な人のため、この世の悪に苦しめられている人のためにけんめいに願っても、はかばかしい答が返ってこないのです。そんなとき、どうするでしょう。神の無慈悲さに憤るでしょうか。泣いてあきらめるでしょうか。神など信じられないとつまずくでしょうか。
女は、主イエスのことばにユーモアできりかえしました。ユーモアの根底には「きっとわかってくださる」という信頼があります。
 主イエスは、ティルスに来る前、ユダヤの指導者たちと厳しいやりとりをしていました(7章1~23節)。信仰を装いながら悪意を含んだ汚れた言葉に傷つき、疲れ、うんざりし、異国に逃れて休息を求めたのかもしれません。そこで出会ったのは、ユダヤの信仰など何も知らないひとりの女の、たしかな信頼とユーモアのことばでした。疲れもふきとぶ思いだったのではないでしょうか。主イエスは女に「その言葉のゆえに行きなさい(29節 直訳)」と告げます。そして救いはその時もうもたらされていたのです。
 厳しい状況の中、なおあきらめず信頼の言葉を語れるでしょうか。「その言葉のゆえに行きなさい。救いはもたらされている」との主の励ましと救いと祝福を聞くことができるでしょうか。

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