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2017年2月

2017年2月26日 (日)

北部日記 2月26日

 昨年末、『置かれた場所で咲きなさい』などの著書で知られる渡辺和子氏が亡くなりました。その人生にとって、父である渡辺錠太郎陸軍大将が1936年の2・26事件の際に目の前で殺害されたことは大きなできごとであったといいます。
 ちょうど81年前の2月26日に起こったクーデター未遂事件は、渡辺和子氏だけでなく、もちろん日本中に大きな衝撃を与え、後々に深い影響を残した事件です。陸軍内部に派閥争いがあり、「軍や政府の腐敗した上層部を排除して天皇が直接政治を指導することで、社会のさまざまな問題が解決される」と信じた「皇道派」の若い将校たちが、力ずくで自分たちの理想を実現しようとしたのです。
 簡単に比べることはできませんが、青年将校たちの考え方に、たとえばアメリカでトランプ大統領が支持されるのと同じような傾向を感じます。「既存のしくみやその中で上に立ってきた人々は信用できない。自分たちの信じるあの人が思いのままに治めれば、きっと世の中をよくしてくれる。力ずくででもそれを実現するのがよいことだ」という、素朴で単純な期待と乱暴な方法論です。
 今の日本の社会や、政治の運営にも、同じような傾向が強まっているのをおそれます。多くの深刻な課題にとりかこまれ、いっこうに事態が解決していかない閉塞感の中、それでも理性的に考えていねいに議論を積み重ねていく忍耐と知性を追い求めることで、2・26を乗りこえていかなければならないのです。

2017年2月25日 (土)

2月19日「わたしを何者というのか」

イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」    (マルコ8章27~33節)
 主イエスがいったい何者なのか、人々はあれこれをうわさしていました。それを踏まえ、主イエスはあらためて弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だというのか」と問いました。それに対しペトロが弟子たちを代表するように「メシアです」と答えました。
 「メシア」とは、「油を注がれた者」という意味で、特別の使命のために神から遣わされた者のことです。しかし、この時代には「メシア」といえば、ローマの支配からユダヤを解放して理想の国をうちたてるためにいつの日にか現れる英雄のことをもっぱら言うようになっていました。ユダヤの人々は、かつてのダビデ大王のようなかっこいいヒーローとしてのメシアを思い描き、待ち望んでいたのです。
 ペトロが主イエスのことを「メシア」と呼んだのは、「神から特別の使命のために遣わされた」という意味では正しいのですが、はたしてペトロが思い描いていたメシアはどんな存在だったでしょうか。
 主イエスは、ここで初めてこれからご自身がたどる道を語ります。指導者たちから排斥され、殺され、復活するというのです。ペトロの思い描くメシアとは、まったく違っていたのです。
 わたしたちも、ともすると主イエスのことを、あたかもかっこいいヒーローのように思い描いてはいないでしょうか。キリスト教を、世にあがめられ、世を導き、世を一変させる力のように思い描いているかもしれません。
しかし、人々にしりぞけられ、十字架にかけられる悲惨な道をたどることこそ、主イエスに与えられた「神からの使命」でした。その先に、復活があるのです。わたしたちは、この主の道、十字架に従っていくことができるでしょうか。

2017年2月19日 (日)

北部日記 2月19日

 先週、京都教区の牧師研修会に招かれ、北海教区の現状や取り組みなどをお話ししてきました。
 たっぷり1時間半以上お話しした後、さらに質疑の時間。そこで参加者の関心を集めたひとつが「宣教の総合化」ということばでした。北海教区では、かつて長期宣教計画の標語として「宣教の総合化」と掲げていました。今は表だっては掲げていませんが、その内実は深く浸透しています。それをひとつのキーワードとしてお話ししたのでした。
 「宣教の総合化」とは、難しく聞こえますが、要するに「教会の働きを、個々バラバラにではなく、みんなつなげていっしょに」ということです。ひとつの教会であれば、こどももおとなも、障がいのある人もない人も、いっしょにひとつの礼拝に集います。祈りを大切にすると共に、現実社会の問題にも関心をもちます。牧師も信徒も教会の働きを共に担います。個々の教会だけでなく、地区・教区の諸教会といっしょに歩みます。教会以外の地域の課題や活動にもつながっていきます。「宣教の総合化」が目に見える形となっているのが、たとえば年頭修養会や地区集会であり、教区通信や教区便覧であり、各種の袋献金や教職謝儀保障制度であり、教会間の宣教協力なのです。
 わたしたち北部教会もまた、いろいろな形で「宣教の総合化」を実践し、それによって形作られてきた教会です。これからも、「バラバラにではなく、いっしょに」歩みを進めるのです。

2017年2月18日 (土)

2月12日 「その言葉のゆえに」

 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。 (マルコ7章24~30節a)
 主イエスは異郷のティルスに来ていました。ガリラヤでの働きに疲れ、休息をとるつもりだったのでしょうか。ところが、そこにこの地の女性がやってきて、悪霊に取りつかれた娘を救ってくれるよう、必死に願ったのです。
 しかし、彼女に対する主イエスの対応はあまりに冷ややかにみえます。彼女が異邦人だったからでしょうか。せっかくの休息を乱されたからでしょうか。いずれにせよ女にしてみれば拒否されたことには変わりありません。
 必死に祈り願ってもかなえられないときがあります。自分のためでなく、隣人のため、愛する大切な人のため、この世の悪に苦しめられている人のためにけんめいに願っても、はかばかしい答が返ってこないのです。そんなとき、どうするでしょう。神の無慈悲さに憤るでしょうか。泣いてあきらめるでしょうか。神など信じられないとつまずくでしょうか。
女は、主イエスのことばにユーモアできりかえしました。ユーモアの根底には「きっとわかってくださる」という信頼があります。
 主イエスは、ティルスに来る前、ユダヤの指導者たちと厳しいやりとりをしていました(7章1~23節)。信仰を装いながら悪意を含んだ汚れた言葉に傷つき、疲れ、うんざりし、異国に逃れて休息を求めたのかもしれません。そこで出会ったのは、ユダヤの信仰など何も知らないひとりの女の、たしかな信頼とユーモアのことばでした。疲れもふきとぶ思いだったのではないでしょうか。主イエスは女に「その言葉のゆえに行きなさい(29節 直訳)」と告げます。そして救いはその時もうもたらされていたのです。
 厳しい状況の中、なおあきらめず信頼の言葉を語れるでしょうか。「その言葉のゆえに行きなさい。救いはもたらされている」との主の励ましと救いと祝福を聞くことができるでしょうか。

2017年2月11日 (土)

2月5日 「故郷の人々」

イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。
(マルコ6章1~6節a)
 主イエスは、長く患っていた女性を、服が触れただけで癒し、またヤイロの幼い娘をよみがえらせるという圧倒的な成果を携えて故郷ナザレに帰ってきました。しかし、故郷の人々は主イエスを受け入れず、つまずいたのでした。
 故郷の人々は、主イエスのことを、教育もないただの村大工で、家族も自分たちと変わりない村人のひとりとしか思っていませんでした。「マリアの息子」(3節)という呼び方には、「父のない子」「父はだれかわからない」という冷ややかな響きもあります。幼い頃からのイエスを知っていたために、かえって受け入れなかったのでした。 
 「あん」という映画があります。ある老女の作る絶品のあんの味が評判となり、どら焼き屋が繁盛します。しかし、彼女がハンセン病の患者だったとうわさになり、客足がとだえ、老女も店をやめざるを得なくなってしまいます。人々は、偏見と無理解のゆえに、絶品の味をみずから遠ざけてしまったのです。
 不治の病の女性や会堂長ヤイロは、主イエスを信じて新たないのちを与えられました。しかし、主イエスを信じなかった故郷の人々は、その与えてくださる絶品の味、いのちの味わいを拒んでしまったのです。
 この後、主イエスは弟子たちを派遣しますが、拒まれた場合について指示しています(11節)。主イエスもまた拒まれて故郷ナザレを離れたのでした。
 しかし、主イエスはこの後も「ナザレのイエス」と呼ばれ、故郷の名を負い続けました。さらに、キリストの教会は、ごく初期には「ナザレびと」と呼ばれました。教会も、実は、主を拒んだ故郷の人々と大差ないのかもしれません。主をほんとうには理解せず、信じず、拒むわたしたちではないでしょうか。しかし、主はそのような人々の名を拒まず、その名を負い、わたしたちの中に立っていてくださるのです。

2017年2月 5日 (日)

北部日記 2月5日

 先週日曜日の午後、一日修養会を行いました。教会の年度主題「40年のその先へ、共に」に基づき、まず、他教会との交流・協力の経験を分かち合いました。
 壮年会からは、*川さんが、壮年会としていくつかの教会の礼拝を訪れた経験や感想、そこから見えてくる自分たちの北部教会の特徴や賜物についてもお話しくださいました。
 深*さんは、先日、女性の会12名で札幌富丘伝道所の礼拝に参加したときのことを報告されました。迎えてくださった富丘伝道所のみなさんの温かいおもてなしが心に残りました。
 高校生の*橋くんが、他の教会の中高生との交流の体験から、「出会った仲間が、実は親どうしも教会の活動で昔から知り合いだったりすることがあります」と報告。皆もうなずいていました。
 **かさんは、この夏、札幌地区青年協議会のキャラバンとして新得教会を訪ねたときのことを、台風による被害の状況をスライドで映しながら報告しました。
 今**子さんが、北部教会と中標津教会の交流について、23年前に青年会で中標津を訪問し、ずっとコーヒー献金を送り続けていることを紹介し、「23年たって、ようやく先日、中標津から小*さんご夫妻を北部に迎えることができました」と、息の長い交流についてお話しされました。
 この後の分団協議でも、これから北部教会が「共に」歩んでいくためにどんなことができるか、活発に話がなされました。いろいろな意見が、これからどう具体化されていくのか、楽しみです。

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