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2017年2月11日 (土)

2月5日 「故郷の人々」

イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。
(マルコ6章1~6節a)
 主イエスは、長く患っていた女性を、服が触れただけで癒し、またヤイロの幼い娘をよみがえらせるという圧倒的な成果を携えて故郷ナザレに帰ってきました。しかし、故郷の人々は主イエスを受け入れず、つまずいたのでした。
 故郷の人々は、主イエスのことを、教育もないただの村大工で、家族も自分たちと変わりない村人のひとりとしか思っていませんでした。「マリアの息子」(3節)という呼び方には、「父のない子」「父はだれかわからない」という冷ややかな響きもあります。幼い頃からのイエスを知っていたために、かえって受け入れなかったのでした。 
 「あん」という映画があります。ある老女の作る絶品のあんの味が評判となり、どら焼き屋が繁盛します。しかし、彼女がハンセン病の患者だったとうわさになり、客足がとだえ、老女も店をやめざるを得なくなってしまいます。人々は、偏見と無理解のゆえに、絶品の味をみずから遠ざけてしまったのです。
 不治の病の女性や会堂長ヤイロは、主イエスを信じて新たないのちを与えられました。しかし、主イエスを信じなかった故郷の人々は、その与えてくださる絶品の味、いのちの味わいを拒んでしまったのです。
 この後、主イエスは弟子たちを派遣しますが、拒まれた場合について指示しています(11節)。主イエスもまた拒まれて故郷ナザレを離れたのでした。
 しかし、主イエスはこの後も「ナザレのイエス」と呼ばれ、故郷の名を負い続けました。さらに、キリストの教会は、ごく初期には「ナザレびと」と呼ばれました。教会も、実は、主を拒んだ故郷の人々と大差ないのかもしれません。主をほんとうには理解せず、信じず、拒むわたしたちではないでしょうか。しかし、主はそのような人々の名を拒まず、その名を負い、わたしたちの中に立っていてくださるのです。

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