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2017年2月25日 (土)

2月19日「わたしを何者というのか」

イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」    (マルコ8章27~33節)
 主イエスがいったい何者なのか、人々はあれこれをうわさしていました。それを踏まえ、主イエスはあらためて弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だというのか」と問いました。それに対しペトロが弟子たちを代表するように「メシアです」と答えました。
 「メシア」とは、「油を注がれた者」という意味で、特別の使命のために神から遣わされた者のことです。しかし、この時代には「メシア」といえば、ローマの支配からユダヤを解放して理想の国をうちたてるためにいつの日にか現れる英雄のことをもっぱら言うようになっていました。ユダヤの人々は、かつてのダビデ大王のようなかっこいいヒーローとしてのメシアを思い描き、待ち望んでいたのです。
 ペトロが主イエスのことを「メシア」と呼んだのは、「神から特別の使命のために遣わされた」という意味では正しいのですが、はたしてペトロが思い描いていたメシアはどんな存在だったでしょうか。
 主イエスは、ここで初めてこれからご自身がたどる道を語ります。指導者たちから排斥され、殺され、復活するというのです。ペトロの思い描くメシアとは、まったく違っていたのです。
 わたしたちも、ともすると主イエスのことを、あたかもかっこいいヒーローのように思い描いてはいないでしょうか。キリスト教を、世にあがめられ、世を導き、世を一変させる力のように思い描いているかもしれません。
しかし、人々にしりぞけられ、十字架にかけられる悲惨な道をたどることこそ、主イエスに与えられた「神からの使命」でした。その先に、復活があるのです。わたしたちは、この主の道、十字架に従っていくことができるでしょうか。

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