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2017年3月18日 (土)

3月12日「終わりまで」東日本大震災記念礼拝

イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。 (マルコ13:3~8)
 6年前の大地震による津波、そして原子力発電所事故は、長くつらい苦しみの始まりでした。いわゆる「被災者」だけでなく、その何倍もの人々が、多かれ少なかれ、人生に影響を受けています。
 災害研究の専門家は、大きな災害の後の社会に起こることとして「社会の脆弱な面があらわにされ、攻撃される」「社会変動が加速する」「それまでの社会のあり方が問われる」と指摘しています。確かに、あの大震災の後、社会は大きく動いてきています。そのなかで社会の弱いところほど大きなダメージを受け、格差や過疎がいっそう進んでいます。この社会がどうなっていくのか、その中をどう生きるのか、問われています。
 マルコ13章で、主イエスは破壊や破滅の「しるし」「前兆」として、災害が起こり、社会の問題があらわにされていくことを告げました。それは「産みの苦しみの始まり」であり、そういう不安や怖れの厳しい時の中を、なお生きていかなければならないのです。
そういう時代を生きる姿勢として、「惑わされない(5節)」「慌てない(7節)」「自分のことを気をつける=自分を見つめる(9節)」ことが促されます。そして「最後まで耐え忍ぶものは救われる(13節)」と告げられます。「耐え忍ぶ」とは「とどまる」という語です。不安や苦しみの時代にも、惑わされず、慌てず、おちついて、日常生活の中で与えられた場面場面に誠実に向き合い、終わりまで逃げ出さず、投げ出さず、あきらめず、苦しみのときに向き合い続けるのです。
 主イエスはまた、「福音が宣べ伝えられねばならない(10節)」と断言します。困難な時の中、なお「神の国、神の支配は近い」との福音が証しされるのです。その福音を信じ、終わりまでの時を歩みましょう。

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