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2017年4月29日 (土)

4月23日 「共に生きるために」

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(コリント一 12章26節)
 今日は教会総会です。昨年は教会の年度主題を「40年のその先へ、共に」と掲げました。教会創立40周年を感謝し、この時代の、特に弱い立場の人々と共に、また諸教会と共に歩むことを志しました。新年度もその歩みをさらに進める思いで、「共に生きるために」と掲げたいと思います。
 「共に生きる」「共に生きるために」ということばは、今ではあたりまえに聞かれますが、こういう言い方がなされるようになったのは、そう古いことではないようです。1973年、栃木県にアジア学院が設立されたとき、創立者の高見敏弘牧師が「共に生きるために」との理念を掲げました。その少し前、1962年からネパールで医療支援に携わった岩村昇医師が、高齢の患者を三日三晩背負って病院に運んでくれた貧しい青年が、「みんなでいっしょに生きるために(したことだ) サンガイ・ジウナコ・ラギ」といってお金を受け取らず帰っていったエピソードを紹介しています。ネパールの貧しい無名の青年の「共に生きるために」ということばが、日本に伝えられ広まっていったのです。岩村医師はまた、「生きるとは、弱い者と分かち合うことだ」とも記しています。
 コリント一12:26の句は「共に生きる」ことをあらわしています。よく似た句がローマ12:15にもあります。後者では命令形で記されていますが、前者は普通の文で、今すでに共に生きるものとされている姿を示しています。また、両者とも前段に体のたとえがあるのですが、コリント一では、弱い部分への神のはからいが強調されています。弱い者があるゆえに、体全体が「共に生きる」ものとされている、というのです。
 新年度、わたしたちが、共に生きるために造られ、導かれていることを信じ、その主のみこころに従って歩んでいきましょう。

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