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2017年4月

2017年4月30日 (日)

北部日記 4月30日

先週、教会総会が行われ、私たちの教会の新年度の歩みを踏み出しました。あちこちの教会からも、新しい歩みにむかうお知らせが届いています。
 北海教区内で、新しく牧師・伝道師が着任した教会がいくつかあります。
  旭川星光伝道所     斎藤麻美・斎藤開
  美馬牛福音伝道所   斎藤開・斎藤麻美
  帯広教会         井田博康
  札幌北光教会     野田祥
  洞爺湖教会     佐藤待子
 伝道師として野田祥さんを迎えた札幌北光教会以外は、いずれもこれまで無牧師だったところです。斎藤麻美さん・斎藤開さんご夫妻は、二つの伝道所を互いに主任と担任として受け持ちます。帯広教会からは牧師就任式(5月28日午後4時)の案内も届いています。
 また、二つの教会で献堂式が予定されています。
  厚別教会   6月17日(土)午後1時より   
  新発寒教会  6月24日(土)午後1時30分より
 東札幌教会から、創立60周年記念礼拝のご案内が来ました。
  5月21日(日)午後2時   記念礼拝説教:籠場公郎牧師
 さらに、今週行われる教区総会では、浦河伝道所を浦河教会とする議案が審議されます。
 共にある諸教会の歩みをも祈りに覚え、足を運んで顔をあわせ、喜びと感謝を分かちあいましょう。

2017年4月29日 (土)

4月23日 「共に生きるために」

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(コリント一 12章26節)
 今日は教会総会です。昨年は教会の年度主題を「40年のその先へ、共に」と掲げました。教会創立40周年を感謝し、この時代の、特に弱い立場の人々と共に、また諸教会と共に歩むことを志しました。新年度もその歩みをさらに進める思いで、「共に生きるために」と掲げたいと思います。
 「共に生きる」「共に生きるために」ということばは、今ではあたりまえに聞かれますが、こういう言い方がなされるようになったのは、そう古いことではないようです。1973年、栃木県にアジア学院が設立されたとき、創立者の高見敏弘牧師が「共に生きるために」との理念を掲げました。その少し前、1962年からネパールで医療支援に携わった岩村昇医師が、高齢の患者を三日三晩背負って病院に運んでくれた貧しい青年が、「みんなでいっしょに生きるために(したことだ) サンガイ・ジウナコ・ラギ」といってお金を受け取らず帰っていったエピソードを紹介しています。ネパールの貧しい無名の青年の「共に生きるために」ということばが、日本に伝えられ広まっていったのです。岩村医師はまた、「生きるとは、弱い者と分かち合うことだ」とも記しています。
 コリント一12:26の句は「共に生きる」ことをあらわしています。よく似た句がローマ12:15にもあります。後者では命令形で記されていますが、前者は普通の文で、今すでに共に生きるものとされている姿を示しています。また、両者とも前段に体のたとえがあるのですが、コリント一では、弱い部分への神のはからいが強調されています。弱い者があるゆえに、体全体が「共に生きる」ものとされている、というのです。
 新年度、わたしたちが、共に生きるために造られ、導かれていることを信じ、その主のみこころに従って歩んでいきましょう。

2017年4月23日 (日)

北部日記 4月23日

 先週は、イースターの礼拝を共に喜び祝いました。春風の吹く中、みんな明るい顔で集まってきていたのが印象的でした。
 礼拝には、隠退された福島恒雄牧師がご夫妻でおいでになりました。福島牧師は、かつて厚別教会の牧師から北海教区幹事となり、その後、旭川豊岡教会で長く牧会され、教会のひまわり幼稚園の園長としても大きな働きをされました。
 私が神学校を出て旭川豊岡教会に赴任した時には、留萌宮園伝道所での困難な開拓伝道に携わっておられました。経験のない新人の牧師にとって、前々任牧師が近くにおられることは何かと心強いことでした。道北地区の牧師会などで同席するたびに、教会のみならず、北海教区・道北地区での経験から、多くを教わりました。
 福島牧師はまた、教会の歴史の研究者としても知られています。1982年に出版された『北海道キリスト教史』は、今もなお読み継がれている業績です。私も神学校の卒業論文は日本のキリスト教史をテーマとしたのを知り、たいへん喜んでいろいろと誘ってくださったのですが、とても福島牧師のように研究に力を注ぐことはできませんでした。
 イースターの礼拝の後、福島牧師が「よい礼拝をありがとうございました」と声をかけてくださいました。何よりのイースターの恵みでした。

4月16日 イースター 「ペトロに告げよ」

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコ16章1~8節)

 主イエスは十字架で殺されました。その遺体をアリマタヤのヨセフがひきとって、あわただしく墓に収めました。その一部始終を、女たちが見届けました。しかし、男の弟子たちはどこにいたのでしょうか。
  マルコ福音書は、弟子たちに厳しい描き方をしています。弟子たちの情けなさ、愚かさ、ふがいなさがあちこちに目立ちます。対照的に、弟子以外の思いがけない人々が主イエスを信じ仕える場面も描かれます。主イエスの受難の場面では、この対比がいっそうきわだちます。主イエスがその死と復活を予告したのに対し、弟子たちは、死を覚悟しても主に従うと勇ましいことを言いはりました(14:27~)。しかし、その直後、主イエスが捕えられると、弟子たちは皆、主を見捨てて逃げてしまったのです(14:50)。
   週の初めの日の朝、むなしい気持ちで墓場に行った女たちに、主の復活が告げられました。「あの方はガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」とのメッセージです。すべてが始まったガリラヤに再び戻って新しく始まるのです。ご自分を見捨てた弟子たちを、主は見捨てずに会ってくださり、かねて言われたことばを主は裏切らず約束をはたされるのです。
  この、ゆるしと、再びの招きのことばは「弟子たちとペトロに告げなさい」と命ぜられました。これは「弟子たち、なかでもとりわけペトロに」という意味です。誰よりも主に親しみ、「死んでも主に従う」と言いはったのに、三度も主を知らないと言い逃れ、それゆえに誰よりも深く挫折し、重い罪を思い知ったペトロにこそ、ゆるしと招きは告げられなければならないのです。
  教会は、この挫折のペトロに告げられたゆるしのメッセージの上に成り立ってきました。主の復活の知らせを、今日、新しく聞きましょう。

2017年4月15日 (土)

4月9日 「十字架の屈辱」

 兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。(マルコ15章16~21節)  
 十字架は、ローマで行われた残虐な処刑の道具です。奴隷や支配下の異民族の反逆者に対する極刑として行われました。死の苦しみを長時間さらしものにし、死体はそのまま放置されました。主イエスは、このむごたらしく悲惨な十字架によって死なれたのです。
 しかし、聖書は、主の十字架の死に際し、肉体の苦痛よりもむしろ、主がこうむった侮辱と屈辱をくわしく記しています。死刑の判決を受けてからその死まで、主はなぶりものにされ、唾をかけられ、なぐりつけられ、からかわれ、はずかしめられました。十字架の苦難とは、人間として扱われないという屈辱でした。
 人が人として扱われない屈辱は、けっして過去のものではありません。戦争などの極限状況で、人が人として扱われないことはいつでも起こりえます。しかし、もっと深刻なのは、今日のわたしたちの周囲に、巧妙に、日常的に、徹底的に、そういう状況が広まっていることです。
 主イエスも、人間扱いされない屈辱の中で殺されていきました。十字架を仰ぐとき、それが屈辱のしるしであることを忘れてはならないのです。
 屈辱のしるしの十字架をかつぐ主イエスのかたわらに登場するのがキレネ人シモンです。たまたま主イエスに行き会ったばっかりに、十字架を担い屈辱を共に受けたシモンの姿に、後の教会は、みずからを重ねて理解するようになりました。
 教会は、屈辱のしるしである十字架を掲げます。主イエス・キリストの十字架の屈辱を、みずからのものとして担い、主と共に屈辱をうけるしるしです。人が人として扱われない屈辱を、わたしたちも共に負わされるものとなるでしょうか。

2017年4月 9日 (日)

北部日記 4月9日

☆4月1日土曜日の早朝、九州の教会に赴任したばかりのS牧師から電話がありました。「新任地の教会で週報を作るのに参考にしたいので、北部教会の週報を送ってください」とのこと。さっそく、できたばかりの週報をメールで送ると、折り返しのメールに「北部日記を読みました」と、感想が。かつての自分の新任のときの思いを記した内容に、共感してくれたようです。新任地でのお働きが楽しみです。
☆アメリカがシリアに数十発のミサイルをうちこみました。北朝鮮が2~3発を海に発射するのとは全く意味が違います。実際に人が死に、建物が破壊されたのです。シリア政権の毒ガス攻撃を理由としていますが、かつて「大量破壊兵器を保有している」との理由でイラクを攻撃したのに、そんな事実はなかったことも思い起こされます。いっぽうで、以前からシリアではむごい内戦が続き、多くの人々が死に、あるいは難民となって苦難に耐えていることも重い事実です。難民の受け入れをめぐって、ヨーロッパ諸国は深刻な苦悩を抱えています。わたしたちは、みずから苦悩するほど、他国の痛みに近づいているでしょうか。
☆岩波新書の『パウロ 十字架の使徒』を読みました。著者の青野太潮氏はバプテスト教会の牧師で、著名な聖書学者です。「パウロにとって、キリストは十字架につけられたままの姿だった」と著者は強調しています。十字架のキリストに従い、苦難を負い続ける生き方を生きることが示されているというのです。今週は受難週です。今も苦難を身に負っておられるキリストの姿をみつめましょう。

2017年4月 8日 (土)

4月2日「祈りと眠り」

一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」      (マルコ14章32~42節)
 死に直面するとき、その人の心のうちがあらわにされます。はたして自分はどのようにその時を迎えるでしょうか。落ち着いて穏やかにすごすことができるでしょうか。うろたえたり、苦悩したりする見苦しい姿をさらけだすでしょうか。
 聖書は、十字架のときを前にした主イエスが、恐れもだえた姿を伝えています。神の子とも思えない、とりみだした、見苦しい姿です。でも、もしかしたらそれこそが私の姿かもしれません。私の恐れ、不安、苦しみ、恥を、主イエスは共にしてくださるのです(ヘブライ4:12)。
 苦悩するとき、必要なのは、共にしてもらうことです。分ちあうことで、苦しみは解決しなくても解消するのです。
 恐れもだえた主イエスは、その苦悩を率直に神に訴えて祈りました。神ご自身に、苦悩を分ち担っていただく信頼と信仰とを示されたのです。それで問題は解決しませんでしたが、苦悩は解消され、ついに十字架への道に向かって心を定めたのでした。
 いっぽう、ここには弟子たちがいます。主イエスは苦しみを弟子たちにも分ち担ってほしかったのでしょう。しかし、彼らは眠り込んでしまって全くあてになりませんでした。この弟子たちの姿は、苦悩を抱えてそれを分かち合ってほしいと願う人がすぐ近くにいるのに、まったく気付きもせず目を閉ざしてしまっている私たち自身の姿です。
 しかし、主イエスは、このような愚かで弱い弟子たちに、「立て、行こう」と促します。祈りによって恐れをのりこえて十字架にむかうご自身の道に、なお従ってくるよう、弱い私たちをも促しているのです。きょう、この主の促しを聞きましょう。

2017年4月 2日 (日)

北部日記 4月2日

 4月に入りました。新年度を新しい環境で迎える方々もいることでしょう。とくに若者やこどもたちは、卒業・進学・進級など、期待や不安にどきどきする日々を迎えていることと思います。
 ちょうど25年前の春、神学校を卒業して旭川豊岡教会に赴任しました。なじみのない土地にひとりで赴き、経験もないのにいきなり教会と幼稚園の責任を負うこととなっていました。はたして自分に教会の牧師のつとめが果たせるのか、多くの人々の魂や人生にかかわる重いつとめがどんなものなのか、思い描くことさえおぼつかない中、北海道の地に向かったのでした。
 その旭川での働きを終えて札幌北部教会に着任して15年目に入ります。開拓伝道から始めて14年間、北部教会で働かれた榎本栄次牧師を超え、これからは歴代の牧師の中で在任期間が最長ということになります。それは、北部教会の形成に、これまでのどの牧師よりも責任を問われるということでもあるでしょう。
 旭川でも札幌でも、思ってもいなかったようなたいへんなこと、つらかったこと、困ったこと、悩んだことがなかったわけではありません。それでも、「想定外」の助けや支え、導き、そして喜びや楽しみは、もっと多くありました。教会にかかわる責任の重さには、それだけ恵みがともなっていたと言えます。
 札幌北部教会も、40年を超えて多くの使命とそして恵みを与えられてきました。神さまのはからいを楽しみに、これからへ向かいましょう。

2017年4月 1日 (土)

3月26日「できるかぎりのこと」

 イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マルコ14章3~9節)
 主イエスの一行は、ベタニアのシモンの家に世話になっていました。「重い皮膚病」のシモンの家で食事に集まることは、世間の白い目を覚悟しなければなりません。ひそかな、しかし親しい集まりであったでしょう。
 そこに突然、見知らぬ女が入ってきて、主イエスの頭に香油を注ぎました。油を注ぐのはもてなしの習慣ではありますが、普通の油ではありません。輸入物の最高品質の香油で、器も貴重な品です。高価な品を一瞬に費やすぜいたくなもてなしでした。「セレブ」の婦人だったのでしょうか。 
 世間の目から隠れるようにシモンの家に集まっていた一同は、日頃、食事や宿にも事欠く生活でした。彼女のぜいたくなふるまいに思わず憤り、「貧しい人にほどこすべきだった」と非難をあびせます。まっとうな、正しい批判に違いありません。彼女は、自分のあさはかさ、考えの狭さを指摘され、泣きたい思いで立ちすくんだでしょう。
 しかし、主イエスはそんな彼女をかばったのです。「彼女はできるかぎりのことをした(8節)」は、直訳すれば「彼女は、もっているものを行った」となります。だれしも、じぶんの持ち合わせていることしかできません。それ以上に思い至ることのできない限界、あさはかさ、愚かさを抱えています。それでも、主イエスはそれをかばってくださったのです。
 やがて主イエスが十字架で死んだ後、従っていた女たちは、遺体に香料を塗ることも許されない悲しみの中、数日前のこのできごとを思い出したことでしょう。「あの女の人が、すでに香油を注いでいたのだ」と、心慰められ感謝したのではなかったでしょうか。あさはかでひとりよがりのふるまいが、意味ある大切なできごととされ、憤っていた人々が彼女のしたことを感謝して語り伝えていきました。主の十字架は、和解と感謝をもたらしたのです。

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