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2017年4月 1日 (土)

3月26日「できるかぎりのこと」

 イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マルコ14章3~9節)
 主イエスの一行は、ベタニアのシモンの家に世話になっていました。「重い皮膚病」のシモンの家で食事に集まることは、世間の白い目を覚悟しなければなりません。ひそかな、しかし親しい集まりであったでしょう。
 そこに突然、見知らぬ女が入ってきて、主イエスの頭に香油を注ぎました。油を注ぐのはもてなしの習慣ではありますが、普通の油ではありません。輸入物の最高品質の香油で、器も貴重な品です。高価な品を一瞬に費やすぜいたくなもてなしでした。「セレブ」の婦人だったのでしょうか。 
 世間の目から隠れるようにシモンの家に集まっていた一同は、日頃、食事や宿にも事欠く生活でした。彼女のぜいたくなふるまいに思わず憤り、「貧しい人にほどこすべきだった」と非難をあびせます。まっとうな、正しい批判に違いありません。彼女は、自分のあさはかさ、考えの狭さを指摘され、泣きたい思いで立ちすくんだでしょう。
 しかし、主イエスはそんな彼女をかばったのです。「彼女はできるかぎりのことをした(8節)」は、直訳すれば「彼女は、もっているものを行った」となります。だれしも、じぶんの持ち合わせていることしかできません。それ以上に思い至ることのできない限界、あさはかさ、愚かさを抱えています。それでも、主イエスはそれをかばってくださったのです。
 やがて主イエスが十字架で死んだ後、従っていた女たちは、遺体に香料を塗ることも許されない悲しみの中、数日前のこのできごとを思い出したことでしょう。「あの女の人が、すでに香油を注いでいたのだ」と、心慰められ感謝したのではなかったでしょうか。あさはかでひとりよがりのふるまいが、意味ある大切なできごととされ、憤っていた人々が彼女のしたことを感謝して語り伝えていきました。主の十字架は、和解と感謝をもたらしたのです。

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