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2017年4月 8日 (土)

4月2日「祈りと眠り」

一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」      (マルコ14章32~42節)
 死に直面するとき、その人の心のうちがあらわにされます。はたして自分はどのようにその時を迎えるでしょうか。落ち着いて穏やかにすごすことができるでしょうか。うろたえたり、苦悩したりする見苦しい姿をさらけだすでしょうか。
 聖書は、十字架のときを前にした主イエスが、恐れもだえた姿を伝えています。神の子とも思えない、とりみだした、見苦しい姿です。でも、もしかしたらそれこそが私の姿かもしれません。私の恐れ、不安、苦しみ、恥を、主イエスは共にしてくださるのです(ヘブライ4:12)。
 苦悩するとき、必要なのは、共にしてもらうことです。分ちあうことで、苦しみは解決しなくても解消するのです。
 恐れもだえた主イエスは、その苦悩を率直に神に訴えて祈りました。神ご自身に、苦悩を分ち担っていただく信頼と信仰とを示されたのです。それで問題は解決しませんでしたが、苦悩は解消され、ついに十字架への道に向かって心を定めたのでした。
 いっぽう、ここには弟子たちがいます。主イエスは苦しみを弟子たちにも分ち担ってほしかったのでしょう。しかし、彼らは眠り込んでしまって全くあてになりませんでした。この弟子たちの姿は、苦悩を抱えてそれを分かち合ってほしいと願う人がすぐ近くにいるのに、まったく気付きもせず目を閉ざしてしまっている私たち自身の姿です。
 しかし、主イエスは、このような愚かで弱い弟子たちに、「立て、行こう」と促します。祈りによって恐れをのりこえて十字架にむかうご自身の道に、なお従ってくるよう、弱い私たちをも促しているのです。きょう、この主の促しを聞きましょう。

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