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2017年4月23日 (日)

4月16日 イースター 「ペトロに告げよ」

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコ16章1~8節)

 主イエスは十字架で殺されました。その遺体をアリマタヤのヨセフがひきとって、あわただしく墓に収めました。その一部始終を、女たちが見届けました。しかし、男の弟子たちはどこにいたのでしょうか。
  マルコ福音書は、弟子たちに厳しい描き方をしています。弟子たちの情けなさ、愚かさ、ふがいなさがあちこちに目立ちます。対照的に、弟子以外の思いがけない人々が主イエスを信じ仕える場面も描かれます。主イエスの受難の場面では、この対比がいっそうきわだちます。主イエスがその死と復活を予告したのに対し、弟子たちは、死を覚悟しても主に従うと勇ましいことを言いはりました(14:27~)。しかし、その直後、主イエスが捕えられると、弟子たちは皆、主を見捨てて逃げてしまったのです(14:50)。
   週の初めの日の朝、むなしい気持ちで墓場に行った女たちに、主の復活が告げられました。「あの方はガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」とのメッセージです。すべてが始まったガリラヤに再び戻って新しく始まるのです。ご自分を見捨てた弟子たちを、主は見捨てずに会ってくださり、かねて言われたことばを主は裏切らず約束をはたされるのです。
  この、ゆるしと、再びの招きのことばは「弟子たちとペトロに告げなさい」と命ぜられました。これは「弟子たち、なかでもとりわけペトロに」という意味です。誰よりも主に親しみ、「死んでも主に従う」と言いはったのに、三度も主を知らないと言い逃れ、それゆえに誰よりも深く挫折し、重い罪を思い知ったペトロにこそ、ゆるしと招きは告げられなければならないのです。
  教会は、この挫折のペトロに告げられたゆるしのメッセージの上に成り立ってきました。主の復活の知らせを、今日、新しく聞きましょう。

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