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2017年5月

2017年5月30日 (火)

キャンドルナイト in こどもの家

Candle

2017年5月28日 (日)

北部日記 5月28日

 S井さんが96歳で天に召されてから、もう10年以上になります。晩年は、日曜日の礼拝に出席するのを何より楽しみにしていました。毎日、ほとんどの時間をベッドで横になって過ごしていましたが、土曜日になるとそわそわと準備をし、日曜日の朝は、でかける時間のだいぶ前から身支度をしてベッドに腰かけて待っていて、ご家族の車でいそいそと教会に向かいます。礼拝から帰ってくると、疲れた体をベッドに横たえながら、「楽しかったなあ。来週が楽しみだなあ」と、にこにこしておられたと聞きました。
 先週は、女性の会で、認知症について学びました。認知症の予防や進行の抑制のためには、「人とふれあう」「楽しい刺激を受ける」「何か人の役に立つ」「ほめられる」といったことが大切だと言って、講師の方が「今日は皆さん、おしゃれして教会にいらっしゃってますね。これはすごくいいことです」と強調されていました。教会にいそいそと集まり、あいさつをかわし、教会の働きにたずさわり、互いに感謝しあう、そういう信仰の交わりが大きな支えとなるのです。ふと、S井さんの笑顔を思い出していました。
 認知症の家族をお世話している人を支えることの大切さも語られました。苦労を率直に人に打ちあけ、それに対してはアドバイスや激励よりも「つらいよね」という共感が求められるということです。互いの人生の重荷を分かち合って祈りあうことができる、信仰の交わりの恵みの深さに、ここでも改めて気付かされました。

2017年5月27日 (土)

5月21日 「家庭と教会」

だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません。自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。監督は、信仰に入って間もない人ではいけません。それでは高慢になって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです。更に、監督は、教会以外の人々からも良い評判を得ている人でなければなりません。そうでなければ、中傷され、悪魔の罠に陥りかねないからです。 (テモテ一 3章2~7節)
 テモテ一3章には、教会のつとめにあたる者の資質・条件について記されています。「監督」とは、教会の働き全体を管理し、とくに教えについて責任を負うつとめであったようです。監督にふさわしい人の条件として、さまざまな資質の中でもとくに家庭人としてのありかたが挙げられていることが注目されます。「監督」が必ずしも今の牧師にあたるわけではありませんが、ここに挙げられた資質・条件は、しばしば今日の牧師やその家族に重くのしかかってきます。
 現実には「非のうちどころのない」牧師など、めったにいません。どの牧師も、自らをかえりみて、さまざまな過ちや失敗の痛みにうなだれるほかないでしょう。とくに5節は、家庭とのかかわりで痛みを覚える牧師にはいっそうつらくのしかかります。牧師がその家庭で評価されるとしたら、牧師本人だけでなく、その家族もまた重いプレッシャーを受けてしまいます。
 しかし、「家庭を治める」とは、「自分の家庭を世話し、心配り、労する」という意味であり、それは当然、家庭のために心痛め、苦悩し、重荷を負う」ことを含むでしょう。5節のことばは、「自分の家庭のために労り、心砕き、大切にし、愛する人は、きっと教会のために労し、心痛め、苦悩し、愛することができる」という意味に受けとめていいのではないでしょうか。
 それは牧師に限りません。家庭のために苦労し、それでも愛することを知る人は、教会を愛することができるでしょう。
 15節では、教会のことを「神の家」と表現しています。教会は、神が治める家庭です。神ご自身が、わたしたちのために心砕き、悩み、労苦してくださいます。わたしたちが非のうちどころのないよい子ではなくても、それを従順な者に育ててくださるに違いありません。

2017年5月21日 (日)

北部日記 5月21日

 敗戦に至るまでの戦争の時代、「治安維持法」が社会や政治に深い影響を及ぼしていました。「治安維持法違反」を名目に検挙されたのは、政治や社会運動に携わった人たちばかりではありません。芸術家、宗教家、福祉活動、労働組合、教師、学生、外国人など、あらゆる立場の人々が「治安維持法」での取り締まりの対象となり、「自分は治安維持法違反などとは関係ない」と思っていたのに、ある日とつぜん警察に連行されてしまった人々も少なくありません。キリスト教関係者も多くその対象になりました。三浦綾子さんの晩年の小説の『母』や『銃口』も「治安維持法」の恐ろしさを描き出しています。
 「治安維持法」の成立は、民主的な「普通選挙法」の成立と同時期でした。「大正デモクラシー」といわれるような、前後の時代にくらべて比較的自由な雰囲気であったといわれるこの時期に、こんな恐ろしい法律がどうして成立したのか、歴史を学んでもどうも腑に落ちませんでした。当時の政治家たちや世論は、この法律のもたらす深刻な影響にどうして考えが及ばなかったのか、ふしぎでならなかったのです。
 しかし、まさに今、「あの時代の流れもこういうことだったのか」と腑に落ちてしまうような状況のただなかにあります。「現代の治安維持法」とも批判される「共謀罪法案」が国会で審議されています。かつての治安維持法がそうであったように、いちど成立した法律は、後日さらに強化され、もっと恐ろしいものになりかねません。「テロの恐怖」を逃れようとして「権力の恐怖」に陥る愚をくりかえすわけにはいかないのです。

2017年5月20日 (土)

5月14日 「祈るつとめ」

 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。 (テモテ一 2:1~8)
 この手紙の2章8節以下には男女の役割について偏見ともいえる見方が記されています。それはこの手紙の成り立ちにもかかわっているようです。
 主イエスの周り、あるいはごく初期の教会では、多くの女性たちがだいじな役割を担って活躍していました。それは当時の社会にあってはショッキングなほど新しいことでした。しかし、時代が下るにつれ、その衝撃が薄れ当時の一般的な男女観が影響を及ぼすようになってきます。「牧会書簡」はそのような時代に記されたと考えられます。ですから、これらの見方を今の時代の教会にそのままあてはめることはできないでしょう。聖書のことばは、文字通り受けとめるより真意を尋ねもとめなければなりません。
 それにしても、なぜ「男は・・・祈ること」(8節)とされているのでしょう。女は祈らなくてもいいのでしょうか。
 2章1節以下には、人々のために祈り、とりなすよう勧められています。他者のために祈るのは、祭司のつとめであり、祭司は男とされていました。つまり、8節で言われているのは、教会には、またそのすべての信徒には、祭司として他者のために祈るつとめがある、ということでしょう。
 わたしたちの教会でも、礼拝や祈祷会などで祈る機会には、他の教会、地域の人々、この世界のために祈ることをこころがけています。プロテスタント教会は「万人祭司」といって、教会のすべての信徒に、他者のためにとりなし祈る祭司のつとめがあると理解してきました。
他者のために祈る、とは、つまり、他者に関心をよせるということです。他の人々に心をよせ、その課題を覚え、祈ることは、隣人への開かれた心とかかわりを導きます。他者を覚えて祈ることによって、わたしたちは共に生きるものとされるのです。

2017年5月16日 (火)

春のバザー

札幌北部教会春のバザー

5月28日(日)12:30~14:30

たこやき・やきそば・わたあめ
リサイクル品・友愛品・手芸品
とりめし・いなり・赤飯・パン
やきとり・チーズ・ケーキ etc.
 

認知症を学び地域で支えよう 「認知症サポーター要請講座」

5月21日(日)13:00~14:30

講師 ドゥセット委恵氏(札幌市保健福祉局高齢者保健福祉部より派遣)
主催 札幌北部教会女性の会
認知症サポーターになったからと言って、何かをしなければならないというわけではありません。認知症を正しく理解し、認知症の人やその人を取り巻くご家族の良き理解者になり、もし身近で困っている人を目にすることがあれば「お困りですか」と声をかけてくださるだけでも家族は救われた思いがするのです。
興味のある方はどなたでもご参加ください。
参加費無料

2017年5月14日 (日)

北部日記 5月14日

 このごろ、「こども食堂」という活動が知られてきています。かつては「総中流」といわれた日本の社会も、今では格差が広がり貧困家庭が増えています。経済的な貧困だけでなく、困難な家庭の状況などもあって貧しい食卓しか知らないこどもたちに、安価でまた心なごむ食事を提供しようという有志の活動が「こども食堂」です。
 「こども食堂」だけでなく、「地域食堂」などと言われる活動も含め、さまざまな「いっしょに食べる」取り組みが広がっています。こどもだけでなく、一人暮らしの学生・青年のため、あるいはむしろ高齢者が集まっているところ、広く地域の交流の場として世代間の出会いと交流をねらったもの、食品や農の課題に関心を寄せている活動など、目的や形態は幅広くいろいろですが、いずれにしても、同じ場所で食事を共にすることで、体の栄養だけでなく、人との出会いや交わりの機会を与えられ、少しでも心ゆたかに生活を支えられることを願っての活動です。
 「太平子どもの家」の今後の活動について考えていく中でも、何度か「こども食堂」が話題となりました。本格的な「食堂」は難しいとしても、「子どもの家」の活動の中で「いっしょに食べる」機会を意識的に増やしていくこととしました。実際、「いっしょに食べる」プログラムの際には集まる人が増えてきているようです。今日の「太平子どもの家」後援会でも、「いっしょに食べる」こととしました。どうぞご参加ください。
 「いっしょに食べる」ことは、そもそも主イエス・キリストが大事にされたことでした。そのことの意味を新しく味わいましょう。

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2017年5月13日 (土)

5月7日 「忍耐を示されて」

わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。  (テモテ一 1章12~17節)
 これから「牧会書簡」を学びます。使徒パウロが、弟子また同労者であるテモテやテトスに宛てて記したとされる三通の手紙です。内容的には、教会に仕える働きについて、パウロからのアドバイスや注意を書いたものですが、広く教会のあり方、あるいは教会の働きについて学ぶことができるでしょう。多くの学者は、パウロ自身が書いたのではないと考えていますが、何らかの意味でパウロの体験と考えを踏まえて書かれたものと受け止めて読んでいきたいと思います。
 テモテは、パウロに見出され、信頼されてだいじな働きに携わっていました。どちらかというと優しく穏やかな性格だったらしく、そのせいか周囲から軽んじられることをパウロは心配しています(コリント一 16:11)。若くおとなしいテモテは動揺し、自信を失いかけていたのかもしれません。 
 今日の箇所には、パウロの回心の体験が語られています。かつては教会を迫害していた「罪人の中で最たる者」のパウロが、憐れみを受け主のための務めにつけられました。それは、キリストが忍耐を示された「手本(むしろ「見本」という意味)」だというのです。そうして「雄々しく戦いなさい」(18節)とテモテへの励ましが記されます。
 私自身も、初めて教会のつとめについたとき、戸惑い、悩んだことがあります。しかし、自分の弱さや至らなさを差し出し、にもかかわらず忍耐を示してくださる主の憐れみを示すことが大切だと思い至りました。しかしそのとき、実は教会がすでにそのような忍耐を示していてくれていることに気付かされたのでした。
 わたしたちは、「罪人の最たる者」ですが、それでも共に生きるためにキリストが忍耐を示してくださっている「見本」なのです。

2017年5月 7日 (日)

北部日記 5月7日

 先週、北海教区の総会が開かれました。議長選挙が行われ、さらにまた1期2年、議長をつとめることになりました。選挙の前に「すでに4期8年をつとめたので、そろそろ次の方に」と発言したのですが、あとで皆に「あれは逆効果」とひやかされました。副議長・書記も再選されましたが、大きな働きを担ってきた日向恭司教区幹事は、あと1年で退任されます。これからを次の世代に受け渡していくことが、この2年の課題です。
 総会の二日目の朝の祈祷会は留萌宮園伝道所の三浦忠雄牧師の担当でした。アイヌ民族情報センター主事でもある三浦牧師は、急遽、アイヌ民族の遺骨返還運動を進めている長老の小川隆吉さんに声をかけて議場に来ていただき、挨拶をされるようはからってくださいました。民族の誇りを示す衣装を身につけて講壇に立った小川隆吉さんの姿に、厳粛な感銘が広がりました。
 2月に行われた韓国へのスタディツアーの報告会が行われ、参加者から何人か感想を語ってくださいました。中でも、18歳で参加したYさんの、率直でまた感性ゆたかな感想に、これも感動を深くしました。
 浦河伝道所を浦河教会とする議案が提案され、教会員のKさんが皆の前で願いを訴えました。温かい拍手と共に議案は可決されました。
 兵庫教区の大仁田拓朗議長が来られ、北海教区との宣教協約を願う兵庫教区の思いを伝えてくださいました。北海教区の連帯の経験を分かちあいたいと申し出てくださる兵庫教区の姿勢に励まされました。
 課題と共に、恵みと希望をも見出した総会でした。

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