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2017年6月 3日 (土)

5月28日 「恵みの賜物」

これらのことを命じ、教えなさい。あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。 (テモテ一 4章11~16節)

 テモテはパウロから信頼されて教会のつとめにあたっていました。しかし、年が若いということで周囲から軽く見られ、そのために自信を失いがちだったようです。そんなテモテへの励ましとして、「あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません」と記されています。
 教会の牧師を任命する際、所定の手続きや試験の後、頭に手を置いて祈る「按手」が行われます。旧約聖書の時代から、祝福や任命のしるしとして頭に手を置くことが行われてきました。14節にも「手を置く」ことがだいじなしるしとして触れられています。教会を代表する長老たちが手を置いて教会のつとめに任命したのだ、あなたにはすでにつとめを果たすのに必要な恵みの賜物が与えられているのだ、と励ましているのです。
 「恵みの賜物」によってなすべきつとめとして、「聖書の朗読と勧めと教え」(13節)が挙げられています。聖書を読み、それを解き明かして勧め教えることは、牧師として専念すべきつとめです。私自身、「若いうちは、いっしょうけんめい聖書を語るといい」と勧められたことを思い出します。
 しかし、それは牧師だけのつとめでしょうか。いま、牧師のいない礼拝で信徒が語る機会も増えています。自分の体験の証だけでなく、聖書を解き明かして語ることも求められています。実は、信徒になる洗礼の儀式の中でも「手を置く」ことが行われています。信徒もまたそれぞれに、聖書を語る恵みの賜物が与えられているのではないでしょうか。
日本のプロテスタント教会の源流となった、札幌のクラーク博士、横浜の宣教医ヘボン、熊本の教師ジェーンズは、いずれも牧師ではありませんでした。信徒のうちにある「恵みの賜物を軽んじてはなりません」。聖書を語ることに努めるとき、その「言葉を聞く人々を救うことになります」。

 

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