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2017年6月10日 (土)

6月4日ペンテコステ礼拝 「神の力に支えられて」

神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。この福音のために、わたしは宣教者、使徒、教師に任命されました。そのために、わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。(テモテ二 1章7~14節)

 主イエスが捕えられたときには逃げ去り、よみがえった主に出会っても疑い、主が天に上った後は自分たちだけで部屋に閉じこもっていた弟子たちが、ペンテコステの日を境に、大胆に、確信をもって、世界にむけて宣教の働きに向かいます。これは確かにふしぎなことです。それこそが聖霊、神の力がもたらしたことでした。「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださった(7節)」のです。それによって教会の歩みが始まっていきました。
 41年前、札幌北部伝道所が開設されたのも、この神の力によるふしぎでした。これからも、おくびょうにとりつかれることなく、力と愛と思慮分別の霊を信じ、神の力に支えられて前へ進む思いを新たにしましょう。
 ところで、今わたしたちは何に対しておくびょうになるというのでしょう。
 たしかに、教会は今、大きな問題に直面しています。高齢化や信徒数の減少、財政困難、伝道の不振などを前に、おくびょうになり、疑い深く、内に狭く閉じこもってしまいそうです。
 それだけでなく、時代の困難に迫られています。「共謀罪」「天皇代替わり」によって苦難がもたらされるでしょう。おくびょうに陥り、信仰が動揺し、閉鎖的になってしまうのでしょうか。
 「神の力に支えられて、・・・苦しみを忍んでください(8節)」と促されます。ペンテコステの後、教会は何もかも順調だったのではありません。苦難に直面し、失敗や挫折を重ね、それでも教会の歩みはやむことがありませんでした。それこそが神の力に支えられているしるしだったのです。
 わたしたちも「自分が信頼している方を知って(12節)」います。「わたしたちの内に住まわれる聖霊(14)」を信じ、勇気をもって歩みましょう。
 

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