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2017年7月

2017年7月23日 (日)

北部日記 7月23日

☆17日、札幌地区教会青年協議会のソフトボール大会が行われました。前の晩から7~8人の青年たちが準備を名目に北部教会に泊まりこみ、わいわい楽しんでいました。
当日は雨もなんとかおさまって、札幌地区以外からも、また青年だけでなく、30名近く集まりました。さて、試合は・・・。楽しく終始して、*橋友*くんがMVPに選ばれ、記念のカップを渡されました。次回まで北部教会で預かります。
☆札幌地区の合同CSキャンプが22~23日、穂別キャンプ場で行われています。単独ではキャンプを行うことが難しくなっている教会が増えてきて、昨年はじめて合同キャンプが行われ、大盛況でした。今年、北部教会からもスタッフやメンバーとして4名が参加しています。
☆太平子どもの家では、意識して「いっしょに食べる」プログラムを取り入れています。ほっと広場・こあら会は夏休みに入りましたが、今週25日の夕方、「流しそうめん」を行います。夕方にわざわざ集まって「いっしょに食べる」企画は初めてです。いつも大人気の「流しそうめん」、仕事から早く帰って家族いっしょに集まる楽しい時になればと願います。
☆とつぜん腰が痛くなり、くしゃみをするだけでズキッとひびくような状態。あわてて病院に行きましたが、骨も異常なく、深刻な状況ではなさそうです。このところ、長距離の運転を重ねるなど、年齢をわきまえずに調子にのっていたようで、少し反省。

2017年7月16日 (日)

北部日記 7月16日

 神学校を出て旭川豊岡教会に赴任して一年になる頃、毎年3月に行われる「全道教会高校生の集い」の講師を頼まれました。何を話したのか、まったく覚えていませんが、このときの高校生実行委員長は札幌北部教会の菅*知*さんでした。
 次の年は旭川で行うこととなり、私が教区の担当者となりました。実際には、旭川六条教会の高校生数名で実行委員会を組織し、いっしょうけんめい話しあってプログラムを作りあげました。旭川豊岡教会の幼稚園に泊まりこみ、映画『塩狩峠』を見て、ウィットマー宣教師の講演を聞くなど、道北地区らしい内容でした。参加者はスタッフをふくめて52名と記録にあります。
 このときの高校生の委員長は、高校を卒業後、神学部に進んで牧師となりました。各地で経験を積み、一昨年、北海道に戻ってきたのをうれしくお迎えしました。札幌北光教会の指方愛子牧師です。今は、北光幼稚園での働きを中心に、夫の指方信平牧師、また今春からは野田祥伝道師と共に牧会を担っています。今回、急なお願いでしたが、北部教会での礼拝説教を快く引き受けてくださいました。
 明日は、札幌地区青年協議会のソフトボール大会が3年ぶりに行われます。スタッフの青年たちで相談しているうちに、「前の晩から泊り込みたいね」「北部教会に泊めてもらおう」「それなら礼拝から北部教会で」と盛り上がったとか。若いときの楽しい経験が、思いがけない将来の再会につながるかもしれませんね。

2017年7月15日 (土)

7月9日 「世代をこえて」

わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。(テモテ二1章3~5節)

 5節には手紙の受取人テモテの信仰のルーツが記されています。使徒言行録16章1~3節によれば、テモテの父はギリシア人でした。異邦人と結婚した母は、それでもテモテに聖書を教え(3:15)、信仰を伝えました。テモテは、キリスト教会の第2世代の最初のひとりといえるでしょう。
 信仰を、世代をこえて伝えていくことは大きな課題です。日本の教会は、明治以来、熱心に伝道してきましたが、信徒の家庭で信仰がなかなか受け継がれてこなかった現実があります。しばしば親の側に「信仰を押しつけてはいけない」というためらいが生じます。教会もまた、「信仰は、自分で理解して選び取っていくもの」という発想があったのではないでしょうか。そうして、こどもたちを教会の外にしかおいてこなかったのではないでしょうか。
 こどもたちをどう受けとめるかは、教会のありかたにかかわります。教会が、何かの働きや能力、学識とか抽象的な議論を求めるところならば、こどもたちの居場所はあまりありません。しかし、教会を、共に生き、暮らし、育っていく共同体と考えると、こどもたちは欠くことができない存在です。
 私自身、信徒の家庭で生まれ育った第2世代です。生まれたときから教会で育てられてきたことは幸いでした。「自分で選んだのではない」と悩んだこともありましたが、けっきょくそれを受け入れて洗礼を受けました。
幼児洗礼を受けている人もいます。幼児洗礼は、ただ、こどもへの祝福や親の信仰の証を意味するのではなく、教会がその子を受け入れ、覚え、その生涯のために祈りつづけるということです。幼児洗礼にかかわらず、こどもたちのために祈りつづけましょう。
 また、テモテの信仰は、地域の諸教会の交わりのなかではぐくまれたものでした(使徒16:2)。若い世代にかかわる地区・教区の働きを覚えましょう。

2017年7月 9日 (日)

北部日記 7月9日

 大学1年生の夏休みに日高の浦河を訪れました。こどもの頃の教会学校の先生だった神学生が、牧師となって浦河伝道所に赴任していたのです。その宮島利光牧師のところにしばらく泊めていただきました。
 目的のひとつは、中学校で親しかった友人を訪ねることでした。中学卒業と共に「馬が好きだから」と浦河の牧場に就職していったのですが、手紙のやりとりも途絶えていました。自転車を借りて、ようやく牧場を尋ねあてましたが、彼はすでにどこかへ移っていた後でした。
 新しい出会いもありました。伝道所の「旧会堂」に寝泊りしている人たちがいて、その中に病院で働いている青年がいました。浦河伝道所の働きも一手に担い、教会に集まるこどもたちをワゴン車に乗せて遊びに連れて行ったりしていました。いっしょに遊びながら、そのこどもたちが貧しさや差別の重荷を担わされていることをそっと教えてくれました。その青年、向谷地生良さんと、旧会堂にいた人たちが「べてるの家」を作るのは、それからしばらく後のことです。
 宮島先生に連れられてえりも岬の近くの幌泉教会を訪れたり、「昆布干し」のアルバイトをしたり、お風呂のような温水プールで遊んだり、夏の日々の思い出は今も鮮やかです。
 あの夏から36年になります。来週、浦河伝道所が「浦河教会」となる教会設立式を司式するめぐりあわせとなりました。先日、「急ですが、この日の礼拝説教も」と依頼されました。神さまのはからいのふしぎさを思いながら、また浦河に行く準備を進めています。

2017年7月 8日 (土)

7月2日 「御言葉の報酬」

よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。聖書には、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。(テモテ一5章17~18節)

 教会の働きを担うつとめとして「長老」をおいている教会は今日でも多くあります。そうした教会では、牧師もまた「御言葉と教えのために労苦している長老」と考える伝統があります。彼らは「二倍の報酬がふさわしい」とあります。「報酬」は「尊敬」「敬意」の意味をもつ語で、文語訳聖書では、「・・・長老をひときわ尊ぶべき者とせよ」と訳しています。しかしまた、これにはあきらかに物質的・経済的報酬の意味も含まれています。
  18節は、コリント一9章を踏まえています。ここでパウロは、律法の規定と主イエスのことばを根拠として、御言葉のために労する者の生活を教会が支えるべきことをいっしょうけんめい説いているのです。
しかし、現実に、牧師の生活を支えるのは教会にとって重い課題です。牧師は清貧であるべきだとされて苦しんだ牧師や家族も少なくありません。北海教区は、牧師の生活を支えきれなかった「北海道特別開拓伝道」の痛ましい歴史への反省から、謝儀基準を設け、それを支えあう互助の仕組みを築いてきました。
 牧師の報酬は具体的にどれくらいがふさわしいのか、定めるのは容易ではありませんが、少しだけ「献金と研究」というぜいたくができればと願います。経費と時間を費やして聖書や信仰について学び続け、また教会や他の活動を支える献金ができることは牧師の喜びです。
 北部教会は、15年前の招聘の約束を守り、無理をしてでも牧師を支え続けています。それは牧師個人への評価に基づくのではなく、御言葉そのものを「ひときわ尊ぶ」姿勢にほかなりません。その姿勢そのものが、牧師にとっては何よりの報酬です。感謝と共に、いま諸教会で労している牧師たちにも、ひときわの報酬が備えられるよう願うのです。

2017年7月 2日 (日)

北部日記 7月2日

 先週は野外礼拝のはずが雨のため会堂での礼拝となりました。これで3年連続です。残念ですが、礼拝後はそれぞれに持ち寄ったお弁当をわけあって、「ミニ愛餐会」となりました。
 そのお昼もそこそこに、車にとびのって旭川星光伝道所の就任式へ。ところが、時間を勘違いして1時間早く着いたことに、到着してから気付きました。小さな星光伝道所ですが、齋藤麻実先生・齋藤開先生の就任式には、道北地区などの諸教会から100名近い方々がお祝いに駆けつけ、祝福と感謝を分かち合いました。
 月曜日からは、教団の部落解放全国会議が千歳栄光教会で開催。開催地の教区を代表して、開会礼拝を担当しました。部落差別問題を考えるために定期的に行われる会議ですが、今回はとくにアイヌ民族への差別をとりあげ、広く人権や差別について学ぶプログラムでした。一年以上前から北海教区の担当者が準備し、二風谷を訪問して故・萱野茂さんのご子息の萱野志朗さんの講演を聞くなど、充実した学びを共にしました。
 二泊三日の会議に全国から集まった約100名の参加者の中には、かつて北海教区の教会で働いていた牧師や、北海道の教会出身者など、見知った顔がおおぜい。あいさつをすると口々に「北海教区がなつかしくて」と・・・。
 北海道の自然や、教会の交わり、そして困難な課題を共にする労苦が、ゆたかな賜物であることをあらためて覚えました。

2017年7月 1日 (土)

6月25日 「食い荒らされた土地」 野外礼拝

大地よ、恐れるな、喜び躍れ。主は偉大な御業を成し遂げられた。
野の獣よ、恐れるな。荒れ野の草地は緑となり
木は実を結び
いちじくとぶどうは豊かな実りをもたらす。
シオンの子らよ。あなたたちの神なる主によって喜び躍れ。
主はあなたたちを救うために
秋の雨を与えて豊かに降らせてくださる。
元のように、秋の雨と春の雨をお与えになる。
麦打ち場は穀物に満ち
搾り場は新しい酒と油に溢れる。
わたしがお前たちに送った大軍
すなわち、かみ食らういなご
移住するいなご、若いいなご
食い荒らすいなごの
食い荒らした幾年もの損害をわたしは償う。
(ヨエル書2章21~25節)

 1880(明治13)年、十勝で大発生したバッタの群れは日高山脈を超え、一部は北上してこのあたりまで襲いました。音をたてて雲のように群れが押し寄せた後には、農作物だけでなく植物は何も残りませんでした。土には大量の卵が産み付けられ、バッタの害は数年間続きました。手稲山口の「バッタ塚」がその苦難を伝えています。
 聖書では、エジプトを襲ったイナゴの災い(出エジプト記10章)が有名ですが、預言書のひとつヨエル書にも、イナゴの害が語られています。 
 ヨエル書2章には、イナゴの大群が襲うさまがリアルに描かれています。イナゴに食い荒らされると飢饉となり、人々の命も脅かされます。しかしヨエルは、主がイナゴを追い払い、食い荒らされた大地に再び豊かな緑を回復してくださると語りました(2:21~25)。明治の頃、バッタに襲われたこのあたりも、もはや緑が回復し、人々が穏やかに暮らす地になりました。
 けれども、ヨエルが語りたかったのは、じつはイナゴのことではないのかもしれません。2章では、イナゴの群れを軍隊になぞらえて描いているのですが、ほんとうは、イナゴの害にたとえて侵略者の軍隊のことを語っているのかもしれません。
 人々が穏やかに暮らす地を、イナゴのように食い荒らす異国の軍隊が襲うことがあります。今も、世界の多くの地が軍隊に荒らされています。沖縄では、戦争の基地を作るために森や海が荒らされています。また、不当な利益をむさぼるために食い荒らされている地もあります。利益をあげるために原発が建てられた地は、いま荒れ果てています。
 イナゴが襲ったように食い荒らされた地を、主はそれでも回復してくださるという希望を聞きましょう。

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