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2017年7月 8日 (土)

7月2日 「御言葉の報酬」

よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。聖書には、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。(テモテ一5章17~18節)

 教会の働きを担うつとめとして「長老」をおいている教会は今日でも多くあります。そうした教会では、牧師もまた「御言葉と教えのために労苦している長老」と考える伝統があります。彼らは「二倍の報酬がふさわしい」とあります。「報酬」は「尊敬」「敬意」の意味をもつ語で、文語訳聖書では、「・・・長老をひときわ尊ぶべき者とせよ」と訳しています。しかしまた、これにはあきらかに物質的・経済的報酬の意味も含まれています。
  18節は、コリント一9章を踏まえています。ここでパウロは、律法の規定と主イエスのことばを根拠として、御言葉のために労する者の生活を教会が支えるべきことをいっしょうけんめい説いているのです。
しかし、現実に、牧師の生活を支えるのは教会にとって重い課題です。牧師は清貧であるべきだとされて苦しんだ牧師や家族も少なくありません。北海教区は、牧師の生活を支えきれなかった「北海道特別開拓伝道」の痛ましい歴史への反省から、謝儀基準を設け、それを支えあう互助の仕組みを築いてきました。
 牧師の報酬は具体的にどれくらいがふさわしいのか、定めるのは容易ではありませんが、少しだけ「献金と研究」というぜいたくができればと願います。経費と時間を費やして聖書や信仰について学び続け、また教会や他の活動を支える献金ができることは牧師の喜びです。
 北部教会は、15年前の招聘の約束を守り、無理をしてでも牧師を支え続けています。それは牧師個人への評価に基づくのではなく、御言葉そのものを「ひときわ尊ぶ」姿勢にほかなりません。その姿勢そのものが、牧師にとっては何よりの報酬です。感謝と共に、いま諸教会で労している牧師たちにも、ひときわの報酬が備えられるよう願うのです。

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