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2017年8月

2017年8月27日 (日)

北部日記 8月27日

 先週、「札幌木曜礼拝」のメッセージを担当しました。今年度になって初めての担当です。
 札幌地区の「札幌木曜礼拝」は1995年度から始まりました。大都市札幌での福音宣教のありかたをみんなで考え、都心で働く人たちが福音に触れる機会となるよう、大通に面した札幌北光教会を会場に借り、週日の昼休みの短い時間の礼拝を地区の信徒・牧師の協力で行ってきたのです。毎週木曜日12時30分からの礼拝に、多いときには30名以上が集まったときもありました。
 20年以上たっていろいろな状況も変化し、札幌木曜礼拝の意義について改めて議論がなされてきました。そして、今年度からは「札幌地区の諸教会の交わり」を目的として、月2回、午前10時30分からの礼拝と、11時から1時間の交わりの時間をセットで行うこととなったのです。
 先週は十数人が出席し、礼拝の後、各自の近況やそれぞれの教会の報告と共に、札幌地区の課題についても自由な話がかわされました。札幌地区には約1200名の信徒がいて、もちろん北海教区の他のどの地区よりも格段に多い数です。しかし、信徒や教会間の交わりは他地区にくらべて薄いと言わざるを得ません。ほかの地区では、たとえば地区の集会は泊りがけで行われ、ゆったりした時間で参加者同士の交流が積み重ねられていますが、札幌地区ではなかなかそういう機会がありません。新しいスタイルの「札幌木曜礼拝」が、少しでもそうした交流の機会になるといいね、と、うなずきあいました。

2017年8月26日 (土)

8月20日 「おりが悪くても」

神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。 (テモテ二 4章1~5節)

  「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても(2節)」という句は、しばしば伝道を励ます言葉として用いられます。しかし、これは、もともとの文脈では、キリストの福音を知らない人たちにむけて語ることを促しているのではなく、教会内部の問題にかかわる戒めのことばです。教会が、本来の健全な教えをおろそかにし、真理から離れて作り話にそれていくことがあります(3~4節)。そのような「折が悪い」中でも、その教会に向かって御言葉を語りつづけることを促しているのです。
  使徒パウロは、福音とは異なる教えや考えが影響を及ぼしている諸教会にむけて、けんめいに真理の御言葉を語りつづけました。そのようなパウロが敬遠され、むしろ聞きたいことばを語ってくれる教師が喜ばれもてはやされることがありました。聞きたいことを語ってくれる教師が集められるのは、健全な教えがそこなわれるしるしと言えます。
  日本基督教団は、各教会がそれぞれ主体的に牧師を招く「招聘制」をとっています。各教会の主体性や責任を重んじたやりかたですが、「自分の都合のよいことを聞こうと、好き勝手に教師を集める」ことになる危険性があります。それを避けるためには、広い教会の交わりのなかで牧師を求め、また日常的に他教会との交わりを深めることが大切です。
  また、かつて日本の教会全体が、国家の圧迫のもと、「真理から耳をそむけ、作り話の方にそれていった」ことがあります。再びそのような「おりの悪い」時代がもたらされるのでしょうか。その中でも「福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい(5節)」と促されています。福音宣教の務めは、プロテスタント教会では、牧師だけでなく信徒それぞれに担うべき務めとされています。いま、心してこの促しを聞きましょう。

2017年8月20日 (日)

北部日記 8月20日

 札幌キリスト教連合会の「8・15平和祈祷集会」では、今年は「北星高等女学校における小野村事件」とのテーマで、研究者の中川收さんのお話を聞きました。
 戦争中、北星高等女学校で聖書を教えていた札幌北一条教会の小野村林蔵牧師が、授業中の発言をとがめられて逮捕された事件については、先日、説教でも少し触れました。これはもちろん、キリスト教信仰に対する国家による弾圧事件には違いないのですが、中川さんのお話からは、さらに奥深い事件の背景と意味を学ぶことができました。
 当時、政府は、戦争のために教育の統制を強め、さらに学生たちを兵士や労働力として動員するために、さまざまな法律を定めて学校への圧迫を強めていました。のしかかる圧力の下、北星女学校の関係者はなんとか学校を存続させようと苦悩し、しかしかえってそのために理事会・管理職・現場の教職員の間にあつれきや不和が生じてしまいます。そこをつけこまれて、とうとう学校は行政の完全な支配下に置かれ、いずれ閉校をまぬかれないまでの危機に直面します。学校のキリスト教教育を主導し、理事のひとりであった小野村牧師の検挙・裁判は、そうやって学校をつぶす企ての一環でもあったのです。
 今も国家は、軍事のみならず、教育・福祉・経済・文化・スポーツなど、あらゆる分野を通じて支配力を強めようとしています。それに対し、個々ばらばらに対応してかえって分裂することのないように、広い視野で共にこれからの社会を考えていくことの大切さを思います。

2017年8月13日 (日)

北部日記 8月13日

☆東北からの短期保養プログラムの一行が、百合が原公園を訪れて一日遊びました。札青協の青年たちがゲームを準備し、その後も遊び相手をつとめてくれました。北部教会が食事を担当し、青空の下でオムライス! 夕方は教会に移動してジンギスカン。太平子どもの家の関係者にも声をかけたところ、80名以上が集まるにぎわいになり、あわてて肉を買い足しました。担当してくださった方々、ほんとうにお疲れさまでした。後日、「ふだんは放射能汚染をおそれて草に触れることができないでいますが、公園でこどもたちが芝生に寝転がって遊んでたのがうれしかったです」とお母さんたちの感想が。
 さて、滞在中のプログラムは予定通り無事に終えた一行ですが、帰りは台風にぶつかって飛行機が飛ばず、新幹線で帰途につきました。これもまた思い出に残ったことでしょう。
☆きょうの礼拝説教は三上章牧師です。以前、北星学園大学のチャプレンとして働かれ、その間、無牧師だった十二使徒教会の代務者をしてくださいました。その後、東京の東洋英和女学院大学に移って教えておられましたが、この春に退職して札幌に戻ってこられました。牧師休暇中の説教をお願いし、快く引き受けていただきました。
☆篠路太平九条の会で「宗教の立場から憲法について話してください」と依頼されました。あまりに大それたテーマですが、先日の説教でも紹介した、札幌での戦中のキリスト教弾圧事件を中心にお話しすることとしました。26日午後2時から、場所も北部教会で行います。

2017年8月11日 (金)

8月6日 平和聖日 「つながれていない」

この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。次の言葉は真実です。
「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、
キリストと共に生きるようになる。
耐え忍ぶなら、
キリストと共に支配するようになる。
キリストを否むなら、
キリストもわたしたちを否まれる。
わたしたちが誠実でなくても、
キリストは常に真実であられる。
キリストは御自身を
否むことができないからである。」
(テモテ二 2章8~13節)

 先日、いわゆる「共謀罪法案」が成立しました。行為がなくても、語りあった「ことば」をとがめて罪とする「共謀罪」は、かつての治安維持法と共通する危険性があります。三浦綾子さんの小説『銃口』は、治安維持法による弾圧事件「北海道つづり方教育事件」を題材としたものです。ことばを書き、あらわし、伝えることが罪とされた事件です。
 ことばをとりしまり、とがめ、罰することは、ことばによる思想・言論・表現・出版の自由を脅かすものです。とりわけ、ことばによって立つ私たちの信仰にとっては大きな脅威です。実際、治安維持法や関連法により、札幌新生教会の伊藤馨牧師の投獄、無教会の浅見仙作氏の逮捕、札幌北一条教会の小野村林蔵牧師の逮捕など、信仰のことばが問題とされた事件が札幌でもいくつも起きています。
 ことばがとがめられるとき、口を閉ざし沈黙するほかないのでしょうか。
 使徒パウロも、福音を語ったためにしばしば捕らえられ、鎖につながれました。「しかし、神の言葉はつながれていません(9節)」と記されています。どういう意味でしょうか。
 ひとつには、パウロをつないでも、彼が語ることをやめさせることはできなかった、ということでしょう(使徒26章)。また、彼が活動できなくても、他の人々が福音をかえって熱心に語ることにもなりました(フィリピ1:14以下)。神のことばの力は、人間の力でおしとどめたり、妨げたり、力をそいだりはできないのです。
 再びことばをつなごうとする企てが迫っているでしょうか。あるいはもうすでに私たちは見えない力にしばられつながれかけているのでしょうか。それでも、つながれていない、生ける神のことば、キリストを信じましょう。

2017年8月 6日 (日)

北部日記 8月6日

☆日本キリスト教団では8月第1週を「平和聖日」と定めています。1962年、「毎年8月6日、またはその直前の日曜日を平和聖日と定め、特に世界平和の為、核兵器禁止の為に祈る」ことを提案したのは、原爆の被爆地・広島のある西中国教区でした。その後、1967年のイースターには、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(戦責告白)」が公表されました。半世紀たった今、「平和聖日」「戦責告白」の意味は薄れるどころか、かえって重いものとなっています。
☆先週はCSキャンプで小樽公園通教会にお世話になりました。白崎牧師をはじめ、教会員の方々が心を砕いて受け入れ準備をしてくださり、めいっぱい楽しいプログラムとなりました。公園通教会の礼拝に出た後は、得意の流しそうめんをいっしょに。「こどもたちの声を聞いて、わたしたちも元気になりました」と言っていただきました。
今回、教会の行事には初めて参加したこどもたちもいました。食事の前に「神さま、ありがとうございます・・・イエスさまのお名前によってお祈りします、アーメン」と祈るのも、讃美歌を歌うのも、礼拝に出席するのも初めての経験です。神さまとの出会いが、うれしく楽しい思い出と共に心に刻まれていればと願います。
☆キャンプで留守をした先週の日曜の礼拝の録音を聞きました。*藤二*さんがリードしての讃美と、*舘さんの証によって、ゆたかな礼拝となったようですね。こちらでも神さまとの新しい出会いが刻まれたことでしょう。

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