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2017年8月26日 (土)

8月20日 「おりが悪くても」

神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。 (テモテ二 4章1~5節)

  「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても(2節)」という句は、しばしば伝道を励ます言葉として用いられます。しかし、これは、もともとの文脈では、キリストの福音を知らない人たちにむけて語ることを促しているのではなく、教会内部の問題にかかわる戒めのことばです。教会が、本来の健全な教えをおろそかにし、真理から離れて作り話にそれていくことがあります(3~4節)。そのような「折が悪い」中でも、その教会に向かって御言葉を語りつづけることを促しているのです。
  使徒パウロは、福音とは異なる教えや考えが影響を及ぼしている諸教会にむけて、けんめいに真理の御言葉を語りつづけました。そのようなパウロが敬遠され、むしろ聞きたいことばを語ってくれる教師が喜ばれもてはやされることがありました。聞きたいことを語ってくれる教師が集められるのは、健全な教えがそこなわれるしるしと言えます。
  日本基督教団は、各教会がそれぞれ主体的に牧師を招く「招聘制」をとっています。各教会の主体性や責任を重んじたやりかたですが、「自分の都合のよいことを聞こうと、好き勝手に教師を集める」ことになる危険性があります。それを避けるためには、広い教会の交わりのなかで牧師を求め、また日常的に他教会との交わりを深めることが大切です。
  また、かつて日本の教会全体が、国家の圧迫のもと、「真理から耳をそむけ、作り話の方にそれていった」ことがあります。再びそのような「おりの悪い」時代がもたらされるのでしょうか。その中でも「福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい(5節)」と促されています。福音宣教の務めは、プロテスタント教会では、牧師だけでなく信徒それぞれに担うべき務めとされています。いま、心してこの促しを聞きましょう。

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