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2017年9月 9日 (土)

9月3日召天者記念礼拝 「新しく生きる」

しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。 (テトス3章4~7節)

  『プロテスタンティズム』(深井智朗)という本を読みました。宗教改革の時代背景として、当時の人々がたえず死に直面し、「死んだ後どうなるか」が重大な関心事だった、と指摘しています。それに対しキリスト教は「永遠の命を受け継ぐ(7節)」と教えて人々の心をとらえ支えたというのです。さらにルターは聖書に基づき、永遠の命が与えられるのは人の業によらずただ神の慈しみと愛による、と断言したのでした(4~5節)。
 さて、しかし「永遠の命」とは、死んだ後だけのことでしょうか。
 5節には「この救いは・・・新たに生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現した」とあります。洗礼はキリストに結ばれて新たに歩みだすしるしです。それは、新しく生まれ、造り変えられることだというのです。永遠の命はここから始まっているのです。それは死んだ後だけのことではなく、生きること、生き方に関わることなのです。
 藤原亨牧師は、若い頃、絶望のなかでキリストに出会いました。ふりかえって「まさにわたしは死からよみがえって、新しい人生を歩み始めたのだ」と記しています。永遠の命とは、新しい人生を歩み始めることであり、救いの実現なのです。
 3章1~3節に、かつての生き方と新しい生き方が対比されています。簡単にいってしまえば、自分勝手な、人と隔てられた生き方から、共に生きるものへと変えられるということだと思います。
 きょう、信仰の先達とその生涯を思い起こします。それぞれ、キリストに結ばれ、新しく共に生きるものへと人生を変えられていきました。なにより教会で共に生きるものとされました。主はわたしたちもまたそのように変えることができるのです。主のみわざに信頼して歩みだしましょう。

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