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2017年9月23日 (土)

9月17日 「理由なしに」

主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。(ヨブ1章8~12節)

 これから何回かに分けて『ヨブ記』をとりあげます。信仰にもとづく一種の文学作品で、決してわかりやすくはありませんが、かいつまんで読んでいきたいと思います。
 ヨブは「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている」と主なる神にも認められていました(8節)。ところがサタンは「利益もないのに神を敬うでしょうか」と、その信仰を疑います。「利益もないのに」とは、「理由なしに」「下心なく」という意味です。ヨブの信仰も理由がある、けっきょくは自分のためだ、というのです。
 マーク・トウェインの『人間とは何か』という短編では、人生に幻滅した老人が純真な若者に「人間の行為は、どんなに崇高な自己犠牲の行為でも、けっきょくは自分の満足のためだ」と語って聞かせます。わたしたちは、自分のためという理由なしに真実に神を畏れることができるでしょうか。
 山浦玄嗣さんは、津波に襲われた人たちに外部の人たちが「なぜこんな目にあったか」と尋ねることに憤っています。それは、「お前たちの拝んでいる神仏は見捨てたではないか。お前たちの信心はなんだったんだ。なんのために信心してきたんだ」という問いだからです。それは、「理由なしに、利益もないのに信心することはないなずだ」というサタンの問いと同じです。
 ヨブは苦難の中で神に「なぜ」と問います。しかしそれは、理由なしに信じることができるかと問われる試練でした。ヨブ記の最後では、ヨブはついに理由を問うことをやめ、理由なしに神を信じるに至ります。
 聖書はまた、理由なしに苦難をもたらす神は、理由なしに救いを与える方であることを示しています。理由なしに信じるとは、理由なしに与えられる救いを信じる促しを含んでいるのです。

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