« 北部日記 10月15日 | トップページ | 北部日記 10月22日 »

2017年10月21日 (土)

10月15日 収穫感謝日 「神の日を見る」

なぜ、全能者のもとにはさまざまな時が蓄えられていないのか。
なぜ、神を愛する者が神の日を見ることができないのか。
人は地境を移し、家畜の群れを奪って自分のものとし
みなしごのろばを連れ去り、やもめの牛を質草に取る。
乏しい人々は道から押しのけられ、この地の貧しい人々は身を隠す。
彼らは野ろばのように荒れ野に出て労し、食べ物を求め、荒れ地で子に食べさせるパンを捜す。
自分のものでもない畑で刈り入れをさせられ、悪人のぶどう畑で残った房を集める。
着る物もなく裸で夜を過ごし寒さを防ぐための覆いもない。
山で激しい雨にぬれても身を避ける所もなく、岩にすがる。
父のない子は母の胸から引き離され、貧しい人の乳飲み子は人質に取られる。
彼らは身にまとう物もなく、裸で歩き、麦束を運びながらも自分は飢え
並び立つオリーブの間で油を搾り、搾り場でぶどうを踏みながらも渇く。
町では、死にゆく人々が呻き、刺し貫かれた人々があえいでいるが、神はその惨状に心を留めてくださらない。
             (ヨブ24章1~12節)

 災いにあったヨブに、友人たちは「神は正しい」と正論を述べます。神は正しい人を祝福し悪い者には報いて罰する。だからヨブはきっと何か罪を犯したに違いない、神の憐みにすがってゆるしてもらいなさい、と促しますのですが、ヨブは、心あたりはない、私は正しい、と言いはります。友人たちはあきれ怒ってヨブを傲慢だと非難し、ヨブもまた友人に憤ります。
 口論がエスカレートしていく中で、友人たちはくりかえし「神は正しい」と主張します。しかしヨブはそれに疑問をつきつけます。神はほんとうに正しい者を守り悪人を罰しているだろうか、現実はそうなっていないではないかと指摘するのです。
 24章では当時の社会のありさまが告発されています。強い者が力をふるい、弱い者を不当にしいたげています。私たちもまた、そうした現実をまのあたりにしています。
 理不尽な災い、苦悩、重荷があります。決して「神は正しい者を助ける。災いにあうのは悪人だ」などと簡単には言えません。それでもヨブは、「神も仏もない」という虚無に陥るのではなく、神に「なぜ」と問い続けます。「なぜ、あなたはこんなふうになさるのですか」「おかしいではありませんか」との問いは、神を信頼するからこその深く悲痛な問いかけです。
 ヨブ記は、読者もまた「なぜ、神の日を見ることができないのか(1節)」と神に向かって問うように促しています。さらに、ヨブ記を含む聖書全体は「神の日」、終わりのときの神の裁きの日への希望を示すものです。
マタイ福音書25章には、神の日には、すべての民が「小さな者」に対してどうふるまったかが問われると示されています。わたしたちは、神の日をどのように見ることになるでしょうか。

« 北部日記 10月15日 | トップページ | 北部日記 10月22日 »

説教要旨」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/520602/65944930

この記事へのトラックバック一覧です: 10月15日 収穫感謝日 「神の日を見る」:

« 北部日記 10月15日 | トップページ | 北部日記 10月22日 »