« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »

2017年11月

2017年11月26日 (日)

北部日記 11月26日

☆先週日曜日、代務者として*別教会の役員会に出席するため、1時少し前にあわただしく車で出発しました。雪道を走り出してほどなく、なんだか車の調子がおかしくなり、警告ランプが次々に点灯。あわててガソリンスタンドにすべりこんだところで動かなくなりました。スタンドでも対応できず、JAFのレッカー車を呼びましたが、雪で救援依頼が殺到していて、レッカーが来たのはなんと午後7時すぎ。車は二日後には修理が終わりましたが、*別教会にはご迷惑をおかけしました。次の役員会は12月10日、まずはちゃんとたどり着かなければなりません。
☆11月23日には、毎年「靖国神社問題北海道キリスト教連絡会議」が行われています。今回は、もっぱら「天皇の代替わり」が話題となりました。今、現天皇の生前退位が計画されています。30年近く前、昭和天皇の死去によって新天皇が即位した際には、葬儀と即位に関連して神道にもとづく諸行事・儀式が大々的に行われ、報道でも天皇を君主のようにあがめる扱いがなされました。戦後、すなわち国民を主権者とし政教分離を定めた日本国憲法のもとでの最初の天皇の代替わりでしたが、戦前と変わらないようなありさまでした。こんどの「代替わり」は、葬儀こそ予定にないものの、即位に関連してまたもや大がかりな行事・儀式が行われ、天皇をおしたてて国家の権威を神道の装いと共に演出し、憲法をないがしろにする企てが進められることでしょう。主権者として、そしてキリスト者として、立場と姿勢が問われる時を迎える心備えをしなければなりません。

2017年11月25日 (土)

11月19日 「答えてみよ」

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。
男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。
わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。
知っていたというなら理解していることを言ってみよ。

                (ヨブ記38章1~4節)

 苦難にあったヨブは、友人との論争のはてに、神との直接対決を望むに至ります(31:35以下)。人間たちの議論はもはや行き詰まったようです。
 そこに突然、主なる神が登場します。それなのにヨブは思いのたけを直接神に訴えることなく、かえって語るのをやめてしまいます(40:1~5)。ヨブはなぜ口をとざしてしまったのでしょうか。
 ヨブの前に登場した神は、ご自身の天地創造のわざを語りだします。造られた天地とそのさまざまな現象、また多くの生き物の営み、さらにはベヘモットやレビヤタンといった、人間には手なずけることもできない恐ろしい存在も、神の御手のわざであることが示されます。
 神がお造りになったこの世界は、人間の罪とか裁きとか祝福とかを超えた、神の御心とはからいの中にあることを示され、ヨブは自分の苦悩がほどける思いをしたのでしょうか。
 あるいは、神が現われてくださったこと自体が、ヨブにとっての答となったのでしょうか。天地を創造された神が、とるにたりないヨブを心にとめ、彼ひとりのために現れ、語りかけてくださったのです。
 ところで、神は、ヨブの問い、ヨブの疑問に答えてくれたわけではありません。かえって神がヨブに「答えてみよ」と問いただしたのです(38:3)。
 ナチスの収容所を生き延びたフランクルは、「我々が人生の意味を問うのではない。我々が人生から問われている」と語っています。神に苦難の意味を問いただそうとしていたヨブですが、かえって神から「答えてみよ」と問われている自分を見出したとき、もはや問うことをやめたのです。
 私たちもまた、「答えてみよ」との問いかけを聞くでしょうか。
 

2017年11月19日 (日)

北部日記 11月19日

☆ろくろく公園の木の葉が、この秋はことのほか美しく赤や黄色に色づいて、目を楽しませてくれました。教会の公園側のベランダの周囲の壁面は、この公園の紅葉の色を写して塗装したものです。この時期、公園から会堂を見るのも色が重なって一興でした。やがて木々の葉も落ち、朝の冷え込みに冬支度をせきたてられました。落葉を集め、花壇の枯れたコスモスを抜き、雪折れしないようハマナスの枝を縛り、ブドウを剪定し、植木鉢を片付け、除雪機の準備もできました。いよいよ雪の季節です。厳しい冬の日々を守られますように。
☆交換講壇で旭川六条教会を訪れました。会員数180名、礼拝出席約80名と、道北地区はもちろん、北海教区でも大きな役割を担っている教会です。この教会で義父が信仰生活を送り、教会の交わりをよろこび楽しんでいました。お世話になった教会員の方々も、年齢を重ねながら礼拝を大切に集ってきていました。この教会はまた、作家の三浦綾子さんが属した教会としても知られています。夫の三浦光世さんともども、誠実に教会生活を送っていました。教会員もまた、今なお親しみと敬愛をこめて三浦さんご夫妻の思い出を語ってくださいます。かねがね、三浦綾子さんの作品には旭川六条教会の信仰のありかたが反映していると思っています。今回、教会員の方々から、「三浦さんの新作を読んだとき、あのときに礼拝や集会で聞いたことだ、と思いあたることも何度かありました」と聞きました。旭川六条教会は、三浦文学をはぐくんだ教会でもあるのです。

2017年11月12日 (日)

北部日記 11月12日

☆25年前、はじめて牧師となって旭川に赴任したとき、北海教区内に同時に新着任した牧師たちが何人もいました。小樽公園通教会に来られた西岡昌一郎牧師もその一人です。もちろん、そのときにはすでにいくつかの教会での牧会経験を積んでおられ、満を持しての着任でした。その後しばしば教区の会議や集会での鋭く厳しい発言を聞き、その毅然とした牧会の姿勢にわが身をかえりみさせられました。やがて共に働く機会も増え、とくに西岡先生が教区議長となった際には副議長として支える立場となりました。共に労する時間の中で、かつてはちょっとこわく見えた西岡先生のあたたかくやさしい面をよく知るようになったのは幸いです。西岡先生は今年度いっぱいで北海道外への転任が決まっています。今日、交換講壇の機会に、北海道でのお働きへの感謝をこめてお迎えしましょう。
☆先日、牧師の働きと教会のこれからについて懇談会が行われました。もう少し話を進めたいとの要望があり、12月10日の礼拝後、続きの懇談会を行うこととなりました。今回も牧師は出席せず信徒だけで話しあいます。前回は参加できなかった方々もぜひ加わって、大切な話し合いを進めていただければと思います。
☆厚別教会の大庭康男牧師が10月に辞任されました。4月には新しい牧師を迎えようと準備を進めていますが、それまでの間の代務者を依頼されました。役員会にはかり、他教会への協力の業として承認いただきました。ほぼ月に一度の説教および役員会に赴きます。厚別教会の課題を覚えて共にお祈りください。

2017年11月11日 (土)

11月5日 「塵の上に立つ方」

わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。
この皮膚が損なわれようとも、この身をもってわたしは神を仰ぎ見るであろう。
このわたしが仰ぎ見る
ほかならぬこの目で見る。
腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。
(ヨブ19章25~27節)

 1600年前、聖書をラテン語に訳したヒエロニムスは、この箇所を「私をあがなう方は生きておられ、終わりの日に私は地からよみがえり、再び皮膚をまとってわが身において神を仰ぎみるであろう」という意味に訳しました。ヨブは、キリストを信じる者の復活を預言している、と読みとったのです。
 しかし正確には、原文では「地(塵)の上に立つ」のはヨブではなく「あがなう方」のことです。「塵」とは「土の塵」のことです。人は塵から創られ、死ねば塵に返るものです(創世記3:19)。この箇所の「塵」は、ヨブの死を示すでしょう。ヨブが死んだとしても、別の「あがなう方」がいる、というのです。
 「あがなう」とは、もともと捕虜や奴隷を、代金を払って買い戻して救い出し、解放することでした。また殺害された人のために報復して無念をはらすことをも含みます。「立つ」とは、法廷で弁論する姿勢です。つまりヨブは、自分が死んだとしても、ヨブのために、その主張を代弁し、かばい、とりなし、無念をはらす方がいる、と述べているのです。
 この「あがなう方」とは、ほかならぬ神ご自身のことだと、多くの聖書学者は考えています。
 神は理不尽にもヨブに苦難をもたらしました。絶対者である神にとって、ヨブの存在など塵のようにはかなくむなしいものであることを、ヨブはよくわきまえています。しかし、それでもヨブは、神は自分の存在をむなしく終わらせはしない、神はわかってくださる、と信じているのです。
 人間からかけはなれた絶対者である神が、しかし塵にすぎない私をかえりみてくださるという信仰は、旧新約聖書全体を貫いて証されています。ヒエロニムスは、翻訳者としてしては間違いを犯したとしても、ここにキリストを読みとったその信仰は間違っていなかったと言えるでしょう。
 

2017年11月 5日 (日)

北部日記 11月5日

 先日、札幌地区信徒講座が行われ、中標津伝道所の信徒の小*さんからお話を聞きました。中標津伝道所が正式に設立される以前からの働き、伝道所として歩みだしてからの内外の困難、そして現在の状況など、苦しかったこと、難しい問題、重いできごとを含め、率直に語ってくださいました。多くの労苦を超えて、この群れを導き守ってくださる主のみわざの証に、80名を超える参加者一同、心明るく励まされました。
 あわせて、先日、中標津伝道所を訪問して礼拝に参加した、札幌地区青年協議会(札青協)のキャラバンについて、S井さんが報告しました。担当教職の高濱心吾牧師を含めた青年たち一行は、中標津まで何時間も車を運転し、着いてからは会堂の掃除や礼拝後の食事などの奉仕をする計画でしたが、かえって中標津の皆さんにもてなされ、力づけられて帰ってきたと、心暖まる報告でした。若者らしい楽しい企画と、S井さん自身のことばによるさわやかな報告を、これもみんなでうれしくなごやかに聞き、明るい感動を与えられました。
 そのほかに、教区からとして、この春の教区総会で決議された、「代務体制の教会の礼拝支援」の方策について少し報告の時間をいただきました。牧師を招聘できないでいる教会と、そうした教会に代務者を送り出している教会、そして代務者としてあるいは信徒であってもそういう教会の働きを担っている方々を少しでも支えようと、一定の枠組みで教区から支出をするしくみです。困難を分ち担い、支えあうことが、教会にとって、喜びとなり、力となることを確かめあった一日でした。
 

« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »