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2017年11月25日 (土)

11月19日 「答えてみよ」

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。
男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。
わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。
知っていたというなら理解していることを言ってみよ。

                (ヨブ記38章1~4節)

 苦難にあったヨブは、友人との論争のはてに、神との直接対決を望むに至ります(31:35以下)。人間たちの議論はもはや行き詰まったようです。
 そこに突然、主なる神が登場します。それなのにヨブは思いのたけを直接神に訴えることなく、かえって語るのをやめてしまいます(40:1~5)。ヨブはなぜ口をとざしてしまったのでしょうか。
 ヨブの前に登場した神は、ご自身の天地創造のわざを語りだします。造られた天地とそのさまざまな現象、また多くの生き物の営み、さらにはベヘモットやレビヤタンといった、人間には手なずけることもできない恐ろしい存在も、神の御手のわざであることが示されます。
 神がお造りになったこの世界は、人間の罪とか裁きとか祝福とかを超えた、神の御心とはからいの中にあることを示され、ヨブは自分の苦悩がほどける思いをしたのでしょうか。
 あるいは、神が現われてくださったこと自体が、ヨブにとっての答となったのでしょうか。天地を創造された神が、とるにたりないヨブを心にとめ、彼ひとりのために現れ、語りかけてくださったのです。
 ところで、神は、ヨブの問い、ヨブの疑問に答えてくれたわけではありません。かえって神がヨブに「答えてみよ」と問いただしたのです(38:3)。
 ナチスの収容所を生き延びたフランクルは、「我々が人生の意味を問うのではない。我々が人生から問われている」と語っています。神に苦難の意味を問いただそうとしていたヨブですが、かえって神から「答えてみよ」と問われている自分を見出したとき、もはや問うことをやめたのです。
 私たちもまた、「答えてみよ」との問いかけを聞くでしょうか。
 

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