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2017年12月16日 (土)

12月10日 「お言葉どおり、この身に」

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。   (ルカ1章26~38節)

 天使が現れ、マリアが幼子を産むことを告げました。婚約者がありながら父の知れない子を産むことは、律法で厳しく罰せられることでしたから、これはマリアにとってはいわば死刑宣告にも等しいむごい知らせです。とても、「おめでたい」とも「恵まれた」とも思えません。
 マリアはおもわず「どうして」と尋ねます。これには「どうやって」という問いと「なぜ」という問いが含まれています。天使は前者の問いには「神にできないことはない」と答えましたが、後者の問いには答を与えません。
 それでもマリアは、もはや「なぜ」と問わず、「お言葉どおり、この身に成りますように」と答えます。直訳すると「それが起こりますように、わたしに、あなたの言葉どおり」となります。ある英語訳聖書では「それが起こりますように」の部分を「let it be」と訳しています。
 ビートルズの名曲「Let it be(レット・イット・ビー)」は、「母マリアが知恵のことばを語る、let it be」と歌っています。この「let it be」は、しばしば「なるがまま」「なりゆきにまかせ」などと解釈されますが、もともとのマリアの「let it be」は、決してそうした消極的な意味ではなく、神のことば、すなわち神の意志、神の計画が実現することを信じ、それを自分自身の身に引き受けるという静かな深い決断、覚悟を含むことばです。 
 神は、ときに理不尽で残酷な運命をもたらし、苦悩や困難をもたらすかもしれません。なぜなのかも知らされません。それでも、その厳しい運命を「おめでとう」と祝福し、「あなたは恵まれた」と告げ、「共にいる」と約束してくださる主を信頼し、ふりかかるできごとを自身の身に引き受ける決断をするのです。
 大野一夫牧師は、病の苦悩を静かにその身に引き受けておられました。私たちは、大野先生との別れの悲しみを身に引き受けるのです。

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