« 北部日記 1月14日 | トップページ | 北部日記 1月21日 »

2018年1月13日 (土)

1月7日「解放の始まり」

イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。(ルカ4章16~21節)

 故郷ナザレの会堂での集会に出席した主イエスに、イザヤ書が渡されました。巻物を開くと、イザヤ書61章の冒頭部分が「目に留まった(17節)」のでした。
 イザヤ書のこの箇所は、国を失って捕囚とされ、貧しく、束縛と抑圧に苦しんでいるユダヤの人々に向けて解放の希望を告げたことばです。
 ここで「主の恵みの年」とあるのは、律法で定められた50年に一度の「ヨベルの年」のことです。「ヨベルの年」には、売り渡された土地は元の持ち主に返され、借金は帳消しになり、奴隷は解放される定めでした。貧富の格差に苦しむ人々が解放され、社会が本来のあるべき姿に戻されるのが「ヨベルの年」です。イザヤ書は、苦難の中の人々に、本来のあるべき姿が回復される時がくるという希望を告げたのです。
 イザヤ書61章の冒頭は、この解放の希望を告げる使命が「わたし」に与えられた、という預言者の自覚をはっきり述べている箇所です。主イエスは、ナザレの会堂で、まさにここに目を留めて、ご自分の使命をはっきり自覚されたのではなかったでしょうか。「このことばは今日実現した」とは、解放を告げるご自身の使命が今から始まるという宣言だったのです。
 解放を告げるために主イエス・キリストがわたしたちのところに確かに遣わされました。今に続く、主イエスの働きは、あの時から始まったのです。
 しかし、主イエスのことばは故郷に受け入れられません。恐ろしい弾圧が迫る中、ふしぎにも主イエスはそのまっただなかを通って歩んで行かれました。主イエスの伝える解放の福音は、まさにそのようにして世界へと進んでいきました。困難の中でなお解放を告げる働きそのものが、解放の始まりとなっていくのです。

« 北部日記 1月14日 | トップページ | 北部日記 1月21日 »

説教要旨」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/520602/66274432

この記事へのトラックバック一覧です: 1月7日「解放の始まり」:

« 北部日記 1月14日 | トップページ | 北部日記 1月21日 »