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2018年2月 3日 (土)

1月28日 「恐れから喜びへ」 一日修養会

その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」 (ルカ10章1~12節)

 主イエスはご自身の福音の宣教の使命を多くの無名の弟子たちに託されました。「収穫は多いが働き手が少ない」つまり取り組むべき働きの膨大さにくらべて担い手が足りない、もっと担い手を、と願う者たちを、主は「行きなさい、わたしはあなたがたを遣わす」と遣わされたのです。
 遣わされていく者たちは、行く手に何が待ち受けているのかと、狼の中に送り込まれる子羊のように、びくびくと恐れ、不安だったことでしょう。しかも、主は、充分な予算も、いろいろな場面に対処できる装備も、困難な歩みを守るものも、有力者の保護も、備えさせてくれません。それでも、平和を携えていくように、相手がどうであろうと、自分は心落ち着け、信頼をもってことにあたるようにといましめます。そして、行く先々で助けを受けて、人のために働き、福音を宣教するよう促すのです。けれども、いつもうまくいくとは限りません。受け入れられないときは、もう責任を負う必要はない、あとは神ご自身にゆだねて次へむかうようにとも促してくださいます。
 きょう、一日修養会として、「これからの教会」について共に考えます。わたしたちも、行く手にさまざまな恐れや不安を覚えています。しかし、主は、わたしたちに福音宣教の使命を与えて遣わしているのです。
 遣わされた弟子たちは喜んで帰ってきて、妨げるものがしりぞけられていったことを報告しました(17節)。遣わされて宣教の働きに携わるとき、主の御名の力をあらためて知ることになったのです。無力で未熟なものが、かえって神の力、神の支配、神の国を知ります。それこそが、主イエス・キリストご自身の喜びでした(21節以下)。
 私たちも、福音の宣教に携わるなかで、神の支配を知り、恐れから喜びへ導き入れられるでしょう。それが主ご自身の喜びなのです。

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