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2018年4月 7日 (土)

4月1日 イースター 「はじめの日」

一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。(ルカ24章28~35節)

 ユダヤでは、毎週土曜の安息日にはいっさいの労働をせず会堂で礼拝することを大切にしていました。ところが、キリスト教会は、安息日の礼拝を捨て、日曜日つまり「週の初めの日」に礼拝を行うようになります。「週の初めの日」が、主イエス・キリストの復活の日だったからです(ルカ24:1)。
 ルカ福音書には、「週の初めの日」に起こった印象的なできごとが記されます。この日、エマオへ向かっていた二人の弟子たちに、よみがえった主イエスが道連れとなって歩み始め、ご自身について聖書から解き明かしますが、二人は気付きません。続いて食事の席で主イエスは「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」(30節)のですが、このふるまいは、五千人にパンを与えたとき(9:16)、そして最後の晩餐のとき(22:19)と同じです。このとき弟子たちは、主イエスが共にいることを悟ったのです。
 教会では、週の初めの日ごとに礼拝が行われます。礼拝では、主イエス・キリストについて聖書から説き明かしを聞き、またパンを分かちあっていただく聖餐が行われます。この、ことばで解き明かし、聖餐をいただくという礼拝は、あの、エマオへの道でなされたことと同じです。実際に聖書から語ったりパンを分けたりするのは集まる中の誰かですが、しかし、そこに見えないけれど確かに主イエス・キリストが共にいてくださることを、教会はくりかえし味わってきたのではないでしょうか。
 週の初めの日、日曜の礼拝は、毎回が小さなイースターです。生きておられる主に出会い、伴われて歩みはじめる、はじめの日です。きょうは、週のはじめの日であり、また4月のはじめの日、そして新年度のはじめの日です。生きておられる主に伴われて歩み始めましょう。

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