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2018年4月28日 (土)

「主の山に登ろう」 4月22日

アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。
終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、
どの峰よりも高くそびえる。
国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。
                        (イザヤ書2章1~5節)

 昨年度、教会の主題を「共に生きるために」と掲げました。その前の年の主題「40年のその先へ、共に」をひきつぎ、「他の諸教会と連帯して共に歩む」「この社会で弱くされた人々と共に課題を担う」といった意味をこめて定められた主題です。
 けれども、近年の教会を振り返ると、急激に礼拝出席者数が減っています。年齢を重ねると共に、健康の衰えや生活の変化によって集うことが困難になってきた方が増えているのです。教会に集えない寂しさやつらさ、不安や孤独がつのるにつれ、教会そのものが、主の共同体として共に生きることがますます大きな課題となってきているのです。
 教会という共同体の中心になるのは礼拝です。礼拝について、聖書はもちろん多くを教えています。
 イザヤ書2章には、礼拝についての美しく力強い幻が語られています。いつの日か、世界中の民が主の礼拝に集い、もはや人々の隔てや対立は無くなるという主の平和の道がもたらされるのです。
 イザヤがこのことばを語ったのは、エルサレムを都とするユダ王国がアッシリアに圧迫され、滅亡の危機に直面した時代でした。弱く小さくされ、困難や不安を抱えている神の民に、それでもやがてこの主の山に諸国の民が隔てなく集まり、神の示す平和の道を歩むようになるという希望が示されたのです。その神のことばは、決してむなしくは終わりません。
 今、私たちも、この希望のことばを心にとめましょう。私たちが弱く小さくされ、孤独や不安に迫られているとしても、みんなが主の山、礼拝の場を望み見て、共に集い、主の示される平和の道を共に歩むものとされるのです。この希望に導かれて歩みましょう。

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