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2018年5月12日 (土)

「ステファノの死」 5月6日

ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。 (使徒7章55節~8章3節)

 教会の歴史上最初の殉教者とされるステファノは、教会の責任を担うように選ばれた信仰と聖霊に満ちた人でした。さらに、すばらしいしるしを行い、批判を論破する知恵と力も備えていました(6:5、8,10)。教会の信頼を集め、これからを担う指導者として期待された希望の星だったでしょう。
 ところが、教会に敵対する人々はステファノを捕え、「神殿と律法を冒涜した」として、ついにステファノを殺してしまったのです。
 ステファノの死は、教会にとって大きな衝撃であり打撃でした。キリストへの信仰が命の危険をもたらすものとなっただけでなく、期待されたリーダーを失い、教会もちりぢりとなりました(8:1)。これまで発展をとげてきた教会は、はじめて大きな挫折を味わったのです。
 ステファノはもちろん神にそむいたわけではありません。聖書は、ステファノが神の栄光を見ていたことを記しています。ステファノは間違ってはいませんでした。しかし、神はステファノを守ってはくれなかったのです。
正しく信じ、神を見ていたのに、信仰者が脅かされ、教会が挫折する時があります。教会はくりかえしそういう恐怖と挫折に直面してきました。しかし、神はすぐにそれを助けてはくれないのです。
ステファノが死に、教会がちりぢりになっても、教会は滅びませんでした。それによってかえって福音が広められ(8:4)、そしてステファノの死に立会った若者サウロが、後に使徒パウロとしてキリストの福音を伝えるようになります。主は、そのようにご自身のみわざを成し遂げるのです。
 死に臨んだステファノは、主に自分自身をゆだね、また目の前の人々を愛してゆるしを願いました(7:59~60)。私たちも、教会の困難の中でも、神を信頼し人を愛する信仰をまっとうできることをこそ、祈り願いましょう。

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