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2018年5月26日 (土)

5月20日 ペンテコステ 「故郷の言葉」

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」  (使徒言行録2章1~8節)

 自分が生まれ育った故郷の独特の言葉には、懐かしさ、親しさ、あたたかさを覚えます。しかし、故郷の言葉が痛みや悲しみをもたらすことがあります。先住民や植民地の民族の先祖伝来の言葉が奪われ、抑圧・差別をこうむってきた歴史があります。本来、人と人との間をつなぐはずのことばが、人を隔てしりぞけるしるしとなり、癒しがたい痛みをもたらすのです。
 新約聖書の時代のユダヤでも、ことばの問題は複雑でした。旧約聖書はヘブライ語で記されていますが、ユダヤ人の日常生活ではアラム語が使われていました。諸民族がいりまじる都市では共通語としてギリシア語、また支配者ローマのラテン語も用いられていました。都エルサレムには、他国に移住したユダヤ人の子孫で祖国に帰ってきた人たちも多くいましたが、彼らは生まれ育った現地の言葉やギリシア語を用いていて、地元のアラム語には不慣れの人も多かったでしょう。田舎のガリラヤから来ていた主イエスの弟子たちにとって、彼らは遠く隔たった存在でした。
 しかし、五旬祭(ペンテコステ)の日に、弟子たちに「舌」つまり「言葉」が与えられ、語りだしました。それは、エルサレムに来ていた人たちにとって、なつかしい「故郷の言葉(8節)」でした。これによって、ことばで隔てられていた人々が、ことばと心を通わせたのです。それが聖霊の働きでした。
 神の力、聖霊は、隔てられていた人々を新しい関係、交わりで結びます。そうやって教会という共同体が生まれ、さらに新たな人をそこに結び合わせていくようになります。
 しかし、聖霊の力は、教会だけに限定されているのではありません。教会から地域へ、そして隔てられた悲しみや痛み、対立を抱えた世界で聖霊が働き、人と人が新しい関係、交わりに生きることになるよう祈り求めましょう。

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