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2018年6月23日 (土)

6月17日 「神は分け隔てしない」

翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。
(使徒10章9~16節)

 旧約聖書の律法には、食べて良い物と、食べてはいけない汚れた物が厳しく定められています。敬虔なユダヤ教徒は今日でもそれを守っています。
 しかし、キリスト教では食べ物を制約することはありません。「神が清めたものを清くないといってはならない」とペトロに幻で示されたのです。しかし、この幻は、ただ食べ物のことだけを示しているのではありません。
 当時のユダヤ人にとって、異邦人もまた避けるべきものでした。律法を知らず、割礼を受けることなく、「汚れた」食べ物を平気で食べてきた連中とはいっしょにはなれないと考えていました。しかし、神は、その隔てを取り除くことをこの幻で示されたのです。幻を見た後、ローマ人コルネリウスのもとを訪れたペトロは、「神は人を分け隔てなさらない(10:34)」「イエス・キリストはすべての人の主(10:36)」と確信してコルネリウスたちに洗礼を授けました。教会は、こうして世界の人々の救いの福音を掲げるものとなっていったのでした。
ところが、そのことでペトロは非難されます。異邦人が教会に加えられ、交わりをむすぶことを拒む声があがったのです(11:1~3)。「神は人を分け隔てしない」ことの意味を、最初の教会は、すぐに充分うけとめることができませんでした。
 それは、このころの教会に限ったことでしょうか。いま、私たちは、神は人を分け隔てしないことをじゅうぶん受けとめているでしょうか。
 教会に、あるアンケートの依頼がきました。性的少数者のキリスト者が安心して通える教会かどうかのアンケートです。性的少数者に対して、これまで教会はひときわ厳しい目をむけ、受け入れてきませんでした。今、教会は、ほんとうに「キリストはすべての人の主」と信じ、「神は分け隔てしない」とたしかに示すことができるでしょうか。 

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